人間関係
鈴木は東京都昭島市の拝島出身。小学生の頃から、地元にあったフットベースボールのクラブチームに所属していた。
「小学校4年生の時から、3年間位やっていました。仲が良い友達がやっていたので、それで自分も始めたという感じですね」
地元の中学校に入学した鈴木は、陸上部に所属した。
「最初はバレーボール部だったのですが、人間関係が辛くて辞めました。走るのが得意だったこともあり、陸上部に入部して幅跳びとか短距離とかやっていました。ただ、どちらかと言うと内申点が下がるのを避けるために、嫌々ながら続けていた感じですね(笑)」
当時鈴木が通っていた中学校では、いじめや陰湿な嫌がらせが流行していた。
「いじめていた子に目をつけられるのが嫌で、当時は怯えながら生きていました(笑)。中学生活は楽しかったのですが、その子ひとりにはずっと怯えて過ごしていた感じですね」
進路
当時の中学校で流行っていたいじめや陰湿な嫌がらせに、鈴木も巻き込まれたことがあった。
「3年間その子に会うたびにいつも睨まれたりとか、ジメジメやられていました。私自身はちょっとスカートを短かくしていたくらいで、特に目立つこともしていなかったのですが・・・」
やがて進路を決める段階に差しかかり、鈴木は美容専門学校に進学することに決めた。自分のやりたいことがあるのに、それができないというストレスから一刻も早く解放されたかった。
「通っていた中学校では校則があったので、自分がやりたい美容とかを自由にできませんでした。なので、もっと自由に色々やりたいとずっと思っていました。それと、狭い人間関係から早く離れて、当時強い立場にいた人達を見返したかったという思いもありましたね」
自信喪失
高校ではなく美容専門学校に進学することに、両親は特に反対しなかった。
「むしろ父親が、雑誌の後ろに掲載されていた美容専門学校を勧めてくれました。すごく協力的でしたね」
高校を卒業した鈴木は、恵比寿にあるバンタンデザイン研究所高等部のヘアメイクアップアーティスト科への進学を希望していた。
「当時はニューヨークに行きたいと漠然と思ってたのですが、修学旅行がニューヨークと書いてあったので、いいなと思いました(笑)。それと、ちょうど1期生だったということもあり、ちょうど良いタイミングだなと思いました」
バンタンデザイン研究所高等部の入学試験は、1枚のハンカチのデザインをすることだった。
「その試験で、すっかり自信をなくしてしまいました。自分には才能あるのかなと、疑問を持ってしまいましたね」
結果的に試験には合格した鈴木だったが、すっかり自信を喪失してしまった。そして、あろうことか入学を辞退してしまった。
続く
関連記事
- イシダ ユリ 〜旅する美容師 Vol. 2〜
- 美容師をしながら世界中を旅して回る。そんな夢のような生活をしている美容師がいることをご存知だろうか?当然のことながら、そんな生活の裏には誰も…
- イシダ ユリ 〜旅する美容師 Vol. 1〜
- 美容師をしながら世界中を旅して回る。そんな夢のような生活をしている美容師がいることをご存知だろうか?当然のことながら、そんな生活の裏には誰も…
- 寺尾 フミヤ 〜衝動の赴くままに Vol. 3〜
- もはや説明不要の原宿の大人気サロンgrico で店長を務めることは、誰にでもできることではない。人気サロンだからこそ抱える苦労もあれば、悩み…
- 寺尾 フミヤ 〜衝動の赴くままに Vol. 2〜
- もはや説明不要の原宿の大人気サロンgrico で店長を務めることは、誰にでもできることではない。人気サロンだからこそ抱える苦労もあれば、悩み…
- 寺尾 フミヤ 〜衝動の赴くままに Vol. 1〜
- もはや説明不要の原宿の大人気サロンgrico で店長を務めることは、誰にでもできることではない。人気サロンだからこそ抱える苦労もあれば、悩み…
- 傳田 翔那 〜痛みの先にあった光 Vol. 3〜
- コンテストで優勝する学生は、一体どんな経歴やスキルを持つ美容専門学生なのだろう?生まれ持ってのセンスが違う?それとも努力の天才?まさか運が良…