金子 史〜美容師とは究極の接客業 Vol. 3〜
AFLOATで22年間勤務したのち、満を持して表参道に「ancrea Aoyama」をオープンした美容師「金子 史」が語る、これまでとこれからの人生。自らの努力で道を切り開いてきたカリスマ女性美容師の知られざる素顔に迫る。
葛藤

「ancrea Aoyama」をオープンした現在、これまでとは立場も仕事内容も自然と異なる。
「前職では雇用されていた状態でスタッフを育てていたので、いわゆる店長目線でした。今は経営者としてスタッフを育てる必要があるので、経営者目線が必要になります。そこが全然違いますね」
両方の経験を持つ金子にとって、それは非常に悩ましい問題である。
「どちらの目線で発言をすれば良いのか、経営者目線と店長目線で未だに葛藤しています。ただ、最近は店長目線で話した方がスムーズに行く様な気がしています」
「ancrea Aoyama」が表参道にオープンして約3年。当初思い描いていた理想像に近づいている様で、遠く感じることもある。
「まだまだ階段の途中という感じですね。全てに特化している強い美容師を育てて、ここから巣立って行って欲しいという目標はブレていないのですが、今は一つのことでいっぱいいっぱいになので、まだまだこれからという感じです」
美容専門学校生へのアドバイス

若手スタイリストの育成に力を入れている金子にとって、現役の美容専門学生への期待は大きい。
「技術はもちろん学校で学んでいると思うので、その他にコミュニケーションスキルを是非学んで欲しいと思います」
就職してすぐに即戦力として働ける美容専門学生など、どこにもいない。
「サロンに就職してもすぐに技術ができるわけではないので、自分で働く人たちと積極的にコミュニケーションをとって、働く環境を自ら良くしていく必要があると思います」
コミュニケーションスキルは、接客業という美容師としての特質上、決して避けては通れない。
「それと、色々なアルバイトをして様々な年代の人たちと接して欲しいですね」
これから

金子には思い描いている未来がある。
「まだ達成できていないのですが、将来的には技術に特化した美容師をたくさん育てて、みんなそれぞれ自己ブランディングを展開してもらえるとすごく嬉しいです」
SNSをはじめ、今と昔では美容業界を取り巻く環境も変化している。
「私たちの世代だと新規でサロンをオープンするまでの時間が長かったのですが、今はみんな若くして様々な情報や支援を駆使し、サロンを短期間でオープンできます。地方や小さいお店でも良いので、羽ばたいていって欲しいです。そうやって繋がっていければいいと思いますね」
最後に、金子にとって美容師とはどんな職業かを聞いてみた。
「究極の接客業だと思いますね。技術だけ黙々とやっているわけにもいかず、お客様とコミュニケーションを取る必要もあります。話が得意でないお客様からも要望を聞き出し、感情も汲み取らなければならないですし・・・。すごく深いと思います。自分としてはハサミが握れなくなるまでやりたいですね」
そう遠くない未来、金子の元から巣立った美容師たちが業界を席巻する日が来るはずだ。
完
AFLOATで22年間勤務したのち、満を持して表参道に「ancrea Aoyama」をオープンした美容師「金子 史」が語る、これまでとこれからの人生。自らの努力で道を切り開いてきたカリスマ女性美容師の知られざる素顔に迫る。
アフロート

朝は7時から練習して、全て終わるのが夜の12時過ぎの生活を5年間続けた金子は、23歳の時に新しい道に進む決意をした。
「もともと海外で働きたいという願望がありました。幼少期に親の言いなりだったというか、自由にできなかったこともあり、その反動で親の目の届かないところに行きたくて・・・」
海外志向が強かった金子だったが、母親一人を残して海外に行くことは周囲に反対された。
「いろいろ悩んだのですが、もし母親に何かあったときにすぐに帰って来ることができる場所にしようということで、東京にしました」
海外は諦めて東京のサロンで働くことに決めた。金子が選んだ新しい職場は、当時から人気サロンのアフロートだった。
「最初は募集してないと言われたのですが、なんとか面接だけでもと頼んで、面接してもらいました」
金子の熱意が通じたのか、面接を通過し念願のアフロートに入社することができた。東京での新しい美容師生活が始まったが、最初はアシスタントからのスタートだった。
「以前働いていた鹿児島のサロンと比べて、違う意味で大変でした。すごい数のお客様が来るので・・・。毎日150人くらい来店していたので、シャンプー台から離れられず、トイレにも行けない感じでした」
独立

毎日がむしゃらに働き続けた結果、金子は28歳の若さで管理職に就いた。当時のアフロートでの最年少記録だった。
「周りの先輩たちを一気に追い抜いてしまったため、人間関係の難しさはありました。ただ、誰よりも一番働いたので自然とそのようなこともなくなっていきました」
圧倒的な努力で周囲を黙らせた。そして、2022年の4月に金子は独立をするべくアフロートを退社した。
「この先もずっと長く働くイメージが出来なくなった点が大きいです。お客様も一緒に歳を取っていく中で、雰囲気とか自分が大切にしている部分が伝わりづらいというか、ずれてきてしまう部分があるというか・・・」
22年間在籍したアフロートを退職した後は、フリーランスの美容師などをしながら新サロンのオープンに向けて準備をこなした。そして、2023年3月に自身のサロン「ancrea Aoyama」を表参道にオープンした。
現在

オープン以来、社内でSNSの勉強会を開催する等、金子は様々な取り組みを積極的に行なっている。
「自分自身、美容に関することじゃなくても学びたい意識は強いと思います。フリーランスの時に知り合った美容師さんとのご縁で勉強会に参加させてもらったり、今でも色々と交流させてもらっています」
これまでの恵まれていた環境とは全く異なる現在だが、そんな環境が逆に心地良くも感じる。
「以前の自分はすごく良い環境にいたので、様々な情報が向こうから来る感じでした。今は自分から色々と情報を取りにいく必要があるので、それはそれで新鮮というか、楽しいですね」
続く
AFLOATで22年間勤務したのち、満を持して表参道に「ancrea Aoyama」をオープンした美容師「金子 史」が語る、これまでとこれからの人生。自らの努力で道を切り開いてきたカリスマ女性美容師の知られざる素顔に迫る。
陸上女子

金子は山口県で生まれ、鹿児島県で育った。
「小学生の頃はクラシックバレーと新体操を習っていました。本当はバレーボールをやりたかったのですが、両親の身長が高かったため子供はあまり大きく育てたくなかったようで、やらせてもらえませんでした(笑)」
中学生になると陸上部に所属した。
「陸上部では短距離をしていました。クラシックバレーと新体操は中学生になってやめました。部活ばかりやっていましたね」
中学を卒業した金子は地元の高校に進学した。
「高校でも陸上部に所属していたのですが、仲が良かった陸上部の主将が卒業すると同時に、自分も部活をやめてしまいました」
手に職

高校1年生の終わりに部活をやめてしまったため、金子はいわゆる帰宅部となった。
「高校の時は特に熱中していたものとかないのですが、居酒屋でアルバイトをしていました」
やがて、高校卒業後の自分の進路を決める段階に差し掛かった。
「母親が看護師をしていて、昔から「手に職をつけろ」と言われ続けてきたこともあり、看護師という職業も考えました。しかし、地元で看護師になるには全寮制の高校に行く必要があったのですが、そこには行きたくなくて・・・(笑)」
手に職をつけるために金子が選んだ職業は、看護師ではなく美容師だった。高校を卒業した金子は、店舗数が最も多かった鹿児島の美容室に就職し、働きながら美容専門学校の通信過程を受講する道を選択した。
「両親が離婚して母に育ててもらっていて、金銭的な負担をかけたくなかったため、通信で勉強しながら働くことにしました」
社会人

金子が就職した美容室は教育体制も整っていて、かなり厳しかった。
「ワインディング等の宿題がたくさんあったので、遊ぶ暇はありませんでした。みんなでご飯を食べに行った時も、隅の方でウィッグを巻いていました(笑)。結構スパルタでした」
厳しい練習の甲斐もあり、金子は20歳でスタイリストになった。朝は7時から練習して、全て終わるのが夜の12時過ぎという過酷な生活だった。
「当時は本当にがむしゃらにやっていました。その頃は週休2日制ではなく月に6休しかありませんでした。休みの日は着付けなどのレッスンをするために別のスタジオに行く必要があったので、ほとんど休みがなかったですね」
続く
今でこそ育児とサロンワークを両立させる環境が整ってきた美容業界であるが、現在の環境に至るまでには様々な困難に立ち向かって業界を変革してきた美容師たちの存在があった。子育てをしながら美容師として業界の最前線で活躍し続ける高橋真以子(RITZ)のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)
学生時代にすべきこと

高橋が美容専門学生だった頃と今とでは、それを取り巻く環境は異なっている。しかし、大切なことは今も昔も変わらない。
「専門学生時代に美容室でアルバイトするのはおすすめです。見学でもいいですが、できればお客さんとして行ったほうがそのサロンの中が見えるし、色々話せるので良いと思いますね。色々と見に行けば、将来ここで働きたいなと思えるサロンに出会えると思います」
高橋自身も、学生時代にサロンモデルやカットモデルをしていたため、様々なサロンの中を見ることができた。
「地方とかですと就職ガイダンスだけで働きたいサロンを決める人もいるかと思いますが、実際に自分の目で見ることが大切だと思います」
また、食わず嫌いをせずに様々な経験をすることの重要性も指摘する。
「ファッションとかでも好きなジャンルを一つに絞らずに、様々なジャンルを通ってきた方が良い美容師になれると思います。一つのジャンルを極めるというのも良いですが、結果としてそのジャンルを好むお客様がたくさんいるかは分からないですので」
これから

出産や大病を経験してきた高橋にとって、美容師として毎日働ける喜びを誰よりも感じている。
「今は正直あまり先のことは考えていないですね。子供を立派に育て上げながら、このまま美容師を続けていきたいとは思っています」
子育てをしながら美容師を続けたいと考えている女性美容師にとって、高橋は道標のような存在である。
「子育てをしながらでも、美容師という仕事が本当に好きならやりたいと思うでしょうし、必死に頑張れると思います。もし子供を育てながら働ける環境にないのなら、そのサロンを自分で変えるか、働くサロン自体を変えるしかないと思います」
美容師

中学生の頃から何かを作ることが好きだった。それは今でも変わらない。
「美容師とは人が喜ぶ事をお手伝いする職業だと思うのですが、私は単純に作り手として楽しんでいます。接客業として好きというのも当然あるのですが、それよりも「作る」ということが好きですね」
高橋は以前から、サロンワークと並行してヘアメイクの仕事も精力的にこなしている。
「ヘアメイクの仕事で言うと、例えば撮影はカメラマン・スタイリスト・モデルさんのバランスが大切で、プロが集まってチームとして作り上げるものです。それと比べて、サロンワークは自分一人なので、その達成感はまた独特なものがあります。どちらも好きですね」
現在、高橋の予約は10月まで埋まっており多忙を極めている。
「今はサロンが忙しすぎてヘアメイクの仕事を引き受ける日数が少ない状況なので、もう少しバランスよくやっていきたいと思っています。アシスタントが増えれば仕事をもっと詰めることができるので、撮影に行く時間も作れるのですが・・・。嬉しい悩みですね」
育児と仕事を両立して最前線に立ち続ける。それは決して簡単なことではない。しかし、それを叶えた先に待っている未来が眩いばかりに輝いているということは、高橋を見れば明らかである。
完
今でこそ育児とサロンワークを両立させる環境が整ってきた美容業界であるが、現在の環境に至るまでには様々な困難に立ち向かって業界を変革してきた美容師たちの存在があった。子育てをしながら美容師として業界の最前線で活躍し続ける高橋真以子(RITZ)のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)
RITZ

意中のサロンに入社して慌ただしい日々を過ごしていた高橋だったが、入社2年目に母親が大病を患ってしまった。
「当時、弟はまだ高校生で父親も海外赴任をしており日本にいませんでした。なので、家族をサポートするために休みをいただき一時的に実家に帰りました」
実家の状況が落ち着いたタイミングで再度東京に出てきた高橋は、しばらく働いた後に退社しフリーターをしながら次の展開を考えていた。そして、RITZに中途採用という形で入社した。
「当時の美容業界は、モード系のサロンと可愛いナチュラル系のサロンに二極化していました。私はモードのサロンが好きだったのですが、そうなると働きたいサロンは自ずと絞られてくるというか・・・。RITZのスタイルやテイストが好きだったのが理由ですね」
アシスタントとしてRITZに入社した高橋は、若干2年でスタイリストになった。
「毎日すごく大変でしたが、同期のスタッフもたくさんいたので共に切磋琢磨していました。当時のスタッフはほとんど辞めてしまいましたが、かつての戦友という感じで仲が良く、今でもよく会っています」
結婚と出産

高橋は30歳で結婚して、35歳で娘を出産した。
「当時は、やりたかった仕事がある程度できたというか、夢が叶った部分があったので行くなら今だなと思って(笑)。ちょうどタイミングよく子供を授かりました。そこまではすごく順調でした」
当時のRITZには、これまで出産を経験して働いている美容師が誰一人としていなかった。
「前例がなかったので、社長と一緒に環境や働き方を考えていました。当時は apishのひぐちさん(ひぐちいづみ氏/apishHD専務取締役)が出産を経験されて第一線で活躍していたので、色々と質問したりしていましたね」
過去に前例がないため、会社に自分の希望をどのように提案して良いかも分からなかった。
「美容師の出産・子育ての環境は、いわゆる一般の会社のそれとは異なるので本当に手探りでした。育休の範囲内で産後2〜3ヶ月で復帰して、1年後にはフルタイムで復帰しました」
病魔

悩みながらも育児と仕事の両立を試みていた矢先、突然の病魔が高橋を襲った。
「ちょうど子供が2歳半の時だったのですが、くも膜下出血になってしまいました。本当に突然でした。1ヶ月弱入院したのですが、本当に大変でしたね」
高橋の実家の母などの助けもあり、なんとかその困難な状況を切り抜けた。幸いなことに後遺症などもなかった。
「急なことだったので、スタッフにも迷惑をかける形になりましたが、当時のお客様のほとんどが復帰するのを待っていてくれたので嬉しかったです」
続く
今でこそ育児とサロンワークを両立させる環境が整ってきた美容業界であるが、現在の環境に至るまでには様々な困難に立ち向かって業界を変革してきた美容師たちの存在があった。子育てをしながら美容師として業界の最前線で活躍し続ける高橋真以子(RITZ)のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)
おてんば娘

高橋は栃木県の日光市出身。鬼怒川温泉まで車で5分の距離で育った。父親は仕事で海外赴任が多かったため、主に母親と弟の3人での生活だった。
「小学生の頃からおてんばなタイプでした。住んでいるところが田舎だったので、外で遊ぶことが多かったですね」
中学生の頃から友達の髪の毛をアレンジしたりしていた。
「何かを作ったりすることが好きだったので、中学生の頃から将来は美容師になろうと決めていました」
高校に進学すると、様々なアルバイトを始めた。
「モスバーガーやレストランのウェイトレスだったり、鬼怒川温泉のホテルのベッドメイキングなど色々やりました」
美容専門学校

アルバイトで稼いだ給料は、主にファッションに使っていた。
「当時から東京の原宿や代官山に買い物に出かけていました。古着やドメスティックブランドが好きでした」
高校3年生になり進路を決める段階に差し掛かり、高橋は美容師になるべく美容専門学校に進学することにした。
「本当は東京の美容専門学校に行きたかったのですが、父から地元の専門学校に行くように言われたので、宇都宮美容専門学校に進学しました」
専門学校には自宅から通っていた。
「授業にはできるだけ出ていましたが、当時から東京でカットモデルやサロンモデルをしていたこともあり、ほんの一瞬だけ卒業が遅れました(笑)」
当時の専門学校は1年制だったため、入学してすぐに就職活動をする必要があった。
「絶対に東京で就職したかったので、東京には頻繁に来ていました。大学で東京に来ている友達のうちに泊めてもらったり、日帰りで行ったりしていましたね」
社会人

美容専門学校を卒業した高橋は、高い倍率を突破して表参道にあった大人気サロンPHASEに入社した。
「当時のPHASEの社長がモードのカッコ良いスタイルを作っていて、特にボブがすごく好きでした。入りたいと思っていたサロンのひとつでしたので、入社できてうれしかったです」
下北沢に家を借りて、美容師としての社会人生活がスタートした。この業界がきついのは当然という認識のもと、一心不乱に働いた。
「当時は記憶がないくらい本当に大変でした。でもそれは事前に分かっていたというか・・・。高校生の頃から東京でカットモデルやサロンモデルをしていて、先輩美容師さんからたくさん話を聞かせてもらっていたので覚悟はできていました」
続く
カリスマ美容師ブームのきっかけとなった人気テレビ番組「シザーズリーグ」で人気を博し、代官山の有名サロン「RITZ」を経て、表参道の人気サロン「Casii」で代表を務める大更章文。彼のもとには連日多くのファンが訪れている。そんな大更章文のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)
独立

RITZの下北沢店で働いていた大更は、その後に原宿・代官山と場所を移し、33歳の時に代表の金井に次ぐ責任者となった。
「金井のイメージを具体化するために、情報発信や外部とのやり取り、撮影など色々やらせてもらいました。先輩がいなかったので、7年くらいその役割をこなしていました」
RITZオーナーの金井氏の右腕として活躍していた大更だったが、徐々に自分でやりたいという思いが強くなり、40歳を迎えるにあたり独立することを決意した。
「ヘアメイクをしている知人と共同で、2015年に「Gratii」という名前の美容室を表参道にオープンしました」
オープン当初から集客も安定して順調なスタートだった。そして、2021年に「Casii」と名前を変えてリニューアルオープンした。
「コロナ禍の最中だったこともあり、偶然良い物件が空いていました。準備の時間がなくて大変でしたが、なんとかオープンすることができました」
メッセージ

高津理容美容専門学校を卒業してから、様々な社会経験を積んできた。社会に出てから苦しい思いをしないためにも、大更は美容専門学生時代の過ごし方が重要だと主張する。
「美容の技術以外に、お金周りの勉強もしておいた方がいいと思います。例えば税金だったり、自分が一人になったときにどうするのかというのは、学校では教えてくれないですから。お金に対する最低限の知識は学生のうちに身に付けておいた方がいいですね」
自身が苦労したからこそ、同じ苦労を経験して欲しくないという思いが強い。
「それと、アルバイトは絶対にした方がいいと思います。早いうちに大人と接触して、社会性を身にけるべきだと思います」
これから

大更が美容師になった当初と現在の美容業界を取り巻く環境は、もはやその原型をとどめないほどに変化している。
「これからは、美容師として他と異なる自分の「個」を出していく必要があると思います。最近は同じような「個」が多いので、その中で飛び抜けていかないと、売れる美容師になるのは難しいと思いますね。チャンスを自ら掴みに行く必要があると思います」
大更自身、RITZへの転職やテレビ番組「シザーズリーグ」への出演等、目の前にあるチャンスを掴んでここまでたどり着いた。
「今後は、このCasiiをみんなに知ってもらいたいというか、積極的に発信していきたいと考えています。また、自分の技術をもっと広めるために、スタッフを通じてお客様に技術を伝える方法を絶えず模索しています」
技術を追求しそれを提供する旅はまだ終わらない。
「自分のターゲット層は40代以上で設定していますが、髪型や髪質を一番気にする年代であり、ターニングポイントです。なので、最高の技術でお客様の理想の髪型や髪質を叶えたいと思っています」
完
カリスマ美容師ブームのきっかけとなった人気テレビ番組「シザーズリーグ」で人気を博し、代官山の有名サロン「RITZ」を経て、表参道の人気サロン「Casii」で代表を務める大更章文。彼のもとには連日多くのファンが訪れている。そんな大更章文のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)
社会人

当時は美容専門学校を1年で卒業することができたため、国家試験に合格した大更は実家に帰り美容師を続ける予定だった。
「実家に帰る旨を母親に伝えると、まだ働いてもないのに帰ってくるなと反対されました。それで結果的に、母親の紹介で大阪の美容室で働くことにしました」
大阪で社会人としての新しい生活がスタートした。
「専門学生時代にアルバイトをしていたこともあり、社会人になったからと言ってそんなに大変だとは思わなかったです。実家の美容室もずっと見てきて、この世界が厳しいことも知っていたので、まあこんなもんだよなという感じでしたね」
順調に美容師人生がスタートした大更だったが、友人からの偶然の一言がきっかけとなり、以前から興味があった東京に対する想いが爆発した。
「専門学校時代の友達から「東京に来るなら早い方がいいよ」と誘われて、友達に流されるまま東京に行きました。その友達にRITZを勧められたので面接のお願いをしたのですが、中途採用はしていないと最初は門前払いされてしまいました」
東京

それから半年後に、RITZから面接を行う旨の知らせが届いた。
「当時のRITZのスタッフは総勢25名で、採用枠が1名で応募者が100名ほどいました。あの時は金井さん(金井豊 氏、RITZオーナー)もイケイケで、スタッフも全員男性でした」
一番遠いところから面接に来たという理由で、大更はトップバッターで面接をすることになり、激戦を勝ち抜きRITZへの入社を認められた。
「自分が働いていた大阪の美容室も厳しいところだと思っていましたが、それよりもさらに厳しかったですね」
東京での美容師生活は、大更の想像以上の厳しさだった。
「初日の朝から掃除とヘルプでものすごく忙しくて、21時に営業が終わるのですが、その後に練習会をして、自分の髪型が変ということで先輩にバリカン入れられてピンクにブリーチされました。しかも、初日で社長がいるからということでそのまま一緒に飲みに連れられて終電を逃しました。非常に大変な初日でしたね(笑)」
RITZ

初日から大阪時代と異なる東京の厳しさを味わい、自宅と職場の往復の日々が続いた。
「東京に友達もいなかったので、先輩に飲みに連れて行ってもらうことが多かったです。 毎日終電まで練習して、早く終わる日は先輩と飲みに行って、みたいな感じでした。殴る蹴るとかはもちろんないですが、男性スタッフしかいなかったので体育会系でしたね」
高い競争倍率を乗り越えて念願のRITZに入社した大更だったが、厳しいながらも冗談を言い合える体育会系のノリは不思議と心地良くもあった。
「雰囲気が自分に合っていると思いました。厳しかったですが、辞めようとかは一度も思わなかったですし・・・。自分の波長とすごく合っていたと思います」
RITZに入社して1年半でスタイリストになった。そこから運命が変わり始めた。
「スタイリストになって半年後に、「シザーズリーグ」という美容師が技術を競う人気のテレビ番組に出演させてもらいました。テレビの効果はすごくて、それからは街を歩いていても声を掛けられたりするようになりました」
続く
カリスマ美容師ブームのきっかけとなった人気テレビ番組「シザーズリーグ」で人気を博し、代官山の有名サロン「RITZ」を経て、表参道の人気サロン「Casii」で代表を務める大更章文。彼のもとには連日多くのファンが訪れている。そんな大更章文のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)
サッカー少年

大更は広島県三次市の出身。実家は美容室を経営していた。
「この間、実家の美容室が創業60周年を迎えました。母親は美容室を立ち上げて経営しており、父親も美容ディーラーのような仕事をしていました」
実家の自社ビルではブライダル貸衣装や美容室等を経営していた。祖母も着付けをしており、まさに美容一家で育った。
「家族全員が美容関係の仕事をしていました。2人の姉も美容師ですし(笑)」
少し特殊な環境で育った大更だったが、小学校3年生の時からサッカーに熱中していた。将来は本気でサッカー選手になるつもりだった。
進路

「美容専門学校に入学するまでずっとサッカーをやっていました。本当にサッカー一筋でした」
地元の中学校と高校に通いながら、サッカー部に所属した。
「田舎の高校だったので遊ぶも場所もないですし、本当にサッカーだけやっていました。サッカーの記憶しかないですね」
やがて高校2年生になり、将来の進路を決める段階に差し掛かった。
「2人の姉が美容師ということもあり、自分は実家の美容室を継がなくても良いかなと考えていました。そこで、大学で経営学を学ぼうと思い大学受験をしました」
美容専門学校

大学受験に落ちたら美容師になることを母親と約束して、大更は山口にある大学を受験した。
「結局、大学受験には落ちてしまいました。そこからギリギリで美容専門学校を探したのですが、どこに行けばいいのか分かりませんでした。そんな時、偶然同じクラスだった友達から「一緒に美容師やらない?」と誘われて、大阪の美容専門学校に行くことにしました」
友達に誘われるまま、姉の卒業校ということもあり高津理容美容専門学校に入学した。
「高津理容美容専門学校は大阪の中では非常に厳しい学校で、制服もありました。朝の朝礼も厳しくて、返事の声が大きくないともう一度最初からやり直させるような感じでした」
美容師として働いていた姉のマンションに住ませてもらい、そこから専門学校に通った。
「当時は1クラス120人くらいだったのですが、男子が14人しかいませんでした。その中で生き残るにはどうすれば良いかを考えて、ほとんど遊ばずに練習ばかりしていました」
続く