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高橋 真以子〜努力の先にある未来 Vol. 3〜

今でこそ育児とサロンワークを両立させる環境が整ってきた美容業界であるが、現在の環境に至るまでには様々な困難に立ち向かって業界を変革してきた美容師たちの存在があった。子育てをしながら美容師として業界の最前線で活躍し続ける高橋真以子(RITZ)のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)

学生時代にすべきこと

高橋が美容専門学生だった頃と今とでは、それを取り巻く環境は異なっている。しかし、大切なことは今も昔も変わらない。

「専門学生時代に美容室でアルバイトするのはおすすめです。見学でもいいですが、できればお客さんとして行ったほうがそのサロンの中が見えるし、色々話せるので良いと思いますね。色々と見に行けば、将来ここで働きたいなと思えるサロンに出会えると思います」

高橋自身も、学生時代にサロンモデルやカットモデルをしていたため、様々なサロンの中を見ることができた。

「地方とかですと就職ガイダンスだけで働きたいサロンを決める人もいるかと思いますが、実際に自分の目で見ることが大切だと思います」

また、食わず嫌いをせずに様々な経験をすることの重要性も指摘する。

「ファッションとかでも好きなジャンルを一つに絞らずに、様々なジャンルを通ってきた方が良い美容師になれると思います。一つのジャンルを極めるというのも良いですが、結果としてそのジャンルを好むお客様がたくさんいるかは分からないですので」

これから

出産や大病を経験してきた高橋にとって、美容師として毎日働ける喜びを誰よりも感じている。

「今は正直あまり先のことは考えていないですね。子供を立派に育て上げながら、このまま美容師を続けていきたいとは思っています」

子育てをしながら美容師を続けたいと考えている女性美容師にとって、高橋は道標のような存在である。

「子育てをしながらでも、美容師という仕事が本当に好きならやりたいと思うでしょうし、必死に頑張れると思います。もし子供を育てながら働ける環境にないのなら、そのサロンを自分で変えるか、働くサロン自体を変えるしかないと思います」

美容師

中学生の頃から何かを作ることが好きだった。それは今でも変わらない。

「美容師とは人が喜ぶ事をお手伝いする職業だと思うのですが、私は単純に作り手として楽しんでいます。接客業として好きというのも当然あるのですが、それよりも「作る」ということが好きですね」

高橋は以前から、サロンワークと並行してヘアメイクの仕事も精力的にこなしている。

「ヘアメイクの仕事で言うと、例えば撮影はカメラマン・スタイリスト・モデルさんのバランスが大切で、プロが集まってチームとして作り上げるものです。それと比べて、サロンワークは自分一人なので、その達成感はまた独特なものがあります。どちらも好きですね」

現在、高橋の予約は10月まで埋まっており多忙を極めている。

「今はサロンが忙しすぎてヘアメイクの仕事を引き受ける日数が少ない状況なので、もう少しバランスよくやっていきたいと思っています。アシスタントが増えれば仕事をもっと詰めることができるので、撮影に行く時間も作れるのですが・・・。嬉しい悩みですね」

育児と仕事を両立して最前線に立ち続ける。それは決して簡単なことではない。しかし、それを叶えた先に待っている未来が眩いばかりに輝いているということは、高橋を見れば明らかである。

今でこそ育児とサロンワークを両立させる環境が整ってきた美容業界であるが、現在の環境に至るまでには様々な困難に立ち向かって業界を変革してきた美容師たちの存在があった。子育てをしながら美容師として業界の最前線で活躍し続ける高橋真以子(RITZ)のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)

RITZ

意中のサロンに入社して慌ただしい日々を過ごしていた高橋だったが、入社2年目に母親が大病を患ってしまった。

「当時、弟はまだ高校生で父親も海外赴任をしており日本にいませんでした。なので、家族をサポートするために休みをいただき一時的に実家に帰りました」

実家の状況が落ち着いたタイミングで再度東京に出てきた高橋は、しばらく働いた後に退社しフリーターをしながら次の展開を考えていた。そして、RITZに中途採用という形で入社した。

「当時の美容業界は、モード系のサロンと可愛いナチュラル系のサロンに二極化していました。私はモードのサロンが好きだったのですが、そうなると働きたいサロンは自ずと絞られてくるというか・・・。RITZのスタイルやテイストが好きだったのが理由ですね」

アシスタントとしてRITZに入社した高橋は、若干2年でスタイリストになった。

「毎日すごく大変でしたが、同期のスタッフもたくさんいたので共に切磋琢磨していました。当時のスタッフはほとんど辞めてしまいましたが、かつての戦友という感じで仲が良く、今でもよく会っています」

結婚と出産

高橋は30歳で結婚して、35歳で娘を出産した。

「当時は、やりたかった仕事がある程度できたというか、夢が叶った部分があったので行くなら今だなと思って(笑)。ちょうどタイミングよく子供を授かりました。そこまではすごく順調でした」

当時のRITZには、これまで出産を経験して働いている美容師が誰一人としていなかった。

「前例がなかったので、社長と一緒に環境や働き方を考えていました。当時は apishのひぐちさん(ひぐちいづみ氏/apishHD専務取締役)が出産を経験されて第一線で活躍していたので、色々と質問したりしていましたね」

過去に前例がないため、会社に自分の希望をどのように提案して良いかも分からなかった。

「美容師の出産・子育ての環境は、いわゆる一般の会社のそれとは異なるので本当に手探りでした。育休の範囲内で産後2〜3ヶ月で復帰して、1年後にはフルタイムで復帰しました」

病魔

悩みながらも育児と仕事の両立を試みていた矢先、突然の病魔が高橋を襲った。

「ちょうど子供が2歳半の時だったのですが、くも膜下出血になってしまいました。本当に突然でした。1ヶ月弱入院したのですが、本当に大変でしたね」

高橋の実家の母などの助けもあり、なんとかその困難な状況を切り抜けた。幸いなことに後遺症などもなかった。

「急なことだったので、スタッフにも迷惑をかける形になりましたが、当時のお客様のほとんどが復帰するのを待っていてくれたので嬉しかったです」

続く

今でこそ育児とサロンワークを両立させる環境が整ってきた美容業界であるが、現在の環境に至るまでには様々な困難に立ち向かって業界を変革してきた美容師たちの存在があった。子育てをしながら美容師として業界の最前線で活躍し続ける高橋真以子(RITZ)のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)

おてんば娘

高橋は栃木県の日光市出身。鬼怒川温泉まで車で5分の距離で育った。父親は仕事で海外赴任が多かったため、主に母親と弟の3人での生活だった。

「小学生の頃からおてんばなタイプでした。住んでいるところが田舎だったので、外で遊ぶことが多かったですね」

中学生の頃から友達の髪の毛をアレンジしたりしていた。

「何かを作ったりすることが好きだったので、中学生の頃から将来は美容師になろうと決めていました」

高校に進学すると、様々なアルバイトを始めた。

「モスバーガーやレストランのウェイトレスだったり、鬼怒川温泉のホテルのベッドメイキングなど色々やりました」

美容専門学校

アルバイトで稼いだ給料は、主にファッションに使っていた。

「当時から東京の原宿や代官山に買い物に出かけていました。古着やドメスティックブランドが好きでした」

高校3年生になり進路を決める段階に差し掛かり、高橋は美容師になるべく美容専門学校に進学することにした。

「本当は東京の美容専門学校に行きたかったのですが、父から地元の専門学校に行くように言われたので、宇都宮美容専門学校に進学しました」

専門学校には自宅から通っていた。

「授業にはできるだけ出ていましたが、当時から東京でカットモデルやサロンモデルをしていたこともあり、ほんの一瞬だけ卒業が遅れました(笑)」

当時の専門学校は1年制だったため、入学してすぐに就職活動をする必要があった。

「絶対に東京で就職したかったので、東京には頻繁に来ていました。大学で東京に来ている友達のうちに泊めてもらったり、日帰りで行ったりしていましたね」

社会人

美容専門学校を卒業した高橋は、高い倍率を突破して表参道にあった大人気サロンPHASEに入社した。

「当時のPHASEの社長がモードのカッコ良いスタイルを作っていて、特にボブがすごく好きでした。入りたいと思っていたサロンのひとつでしたので、入社できてうれしかったです」

下北沢に家を借りて、美容師としての社会人生活がスタートした。この業界がきついのは当然という認識のもと、一心不乱に働いた。

「当時は記憶がないくらい本当に大変でした。でもそれは事前に分かっていたというか・・・。高校生の頃から東京でカットモデルやサロンモデルをしていて、先輩美容師さんからたくさん話を聞かせてもらっていたので覚悟はできていました」

続く

カリスマ美容師ブームのきっかけとなった人気テレビ番組「シザーズリーグ」で人気を博し、代官山の有名サロン「RITZ」を経て、表参道の人気サロン「Casii」で代表を務める大更章文。彼のもとには連日多くのファンが訪れている。そんな大更章文のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)

独立

RITZの下北沢店で働いていた大更は、その後に原宿・代官山と場所を移し、33歳の時に代表の金井に次ぐ責任者となった。

「金井のイメージを具体化するために、情報発信や外部とのやり取り、撮影など色々やらせてもらいました。先輩がいなかったので、7年くらいその役割をこなしていました」

RITZオーナーの金井氏の右腕として活躍していた大更だったが、徐々に自分でやりたいという思いが強くなり、40歳を迎えるにあたり独立することを決意した。

「ヘアメイクをしている知人と共同で、2015年に「Gratii」という名前の美容室を表参道にオープンしました」

オープン当初から集客も安定して順調なスタートだった。そして、2021年に「Casii」と名前を変えてリニューアルオープンした。

「コロナ禍の最中だったこともあり、偶然良い物件が空いていました。準備の時間がなくて大変でしたが、なんとかオープンすることができました」

メッセージ

高津理容美容専門学校を卒業してから、様々な社会経験を積んできた。社会に出てから苦しい思いをしないためにも、大更は美容専門学生時代の過ごし方が重要だと主張する。

「美容の技術以外に、お金周りの勉強もしておいた方がいいと思います。例えば税金だったり、自分が一人になったときにどうするのかというのは、学校では教えてくれないですから。お金に対する最低限の知識は学生のうちに身に付けておいた方がいいですね」

自身が苦労したからこそ、同じ苦労を経験して欲しくないという思いが強い。

「それと、アルバイトは絶対にした方がいいと思います。早いうちに大人と接触して、社会性を身にけるべきだと思います」

これから

大更が美容師になった当初と現在の美容業界を取り巻く環境は、もはやその原型をとどめないほどに変化している。

「これからは、美容師として他と異なる自分の「個」を出していく必要があると思います。最近は同じような「個」が多いので、その中で飛び抜けていかないと、売れる美容師になるのは難しいと思いますね。チャンスを自ら掴みに行く必要があると思います」

大更自身、RITZへの転職やテレビ番組「シザーズリーグ」への出演等、目の前にあるチャンスを掴んでここまでたどり着いた。

「今後は、このCasiiをみんなに知ってもらいたいというか、積極的に発信していきたいと考えています。また、自分の技術をもっと広めるために、スタッフを通じてお客様に技術を伝える方法を絶えず模索しています」

技術を追求しそれを提供する旅はまだ終わらない。

「自分のターゲット層は40代以上で設定していますが、髪型や髪質を一番気にする年代であり、ターニングポイントです。なので、最高の技術でお客様の理想の髪型や髪質を叶えたいと思っています」

カリスマ美容師ブームのきっかけとなった人気テレビ番組「シザーズリーグ」で人気を博し、代官山の有名サロン「RITZ」を経て、表参道の人気サロン「Casii」で代表を務める大更章文。彼のもとには連日多くのファンが訪れている。そんな大更章文のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)

社会人

当時は美容専門学校を1年で卒業することができたため、国家試験に合格した大更は実家に帰り美容師を続ける予定だった。

「実家に帰る旨を母親に伝えると、まだ働いてもないのに帰ってくるなと反対されました。それで結果的に、母親の紹介で大阪の美容室で働くことにしました」

大阪で社会人としての新しい生活がスタートした。

「専門学生時代にアルバイトをしていたこともあり、社会人になったからと言ってそんなに大変だとは思わなかったです。実家の美容室もずっと見てきて、この世界が厳しいことも知っていたので、まあこんなもんだよなという感じでしたね」

順調に美容師人生がスタートした大更だったが、友人からの偶然の一言がきっかけとなり、以前から興味があった東京に対する想いが爆発した。

「専門学校時代の友達から「東京に来るなら早い方がいいよ」と誘われて、友達に流されるまま東京に行きました。その友達にRITZを勧められたので面接のお願いをしたのですが、中途採用はしていないと最初は門前払いされてしまいました」

東京

それから半年後に、RITZから面接を行う旨の知らせが届いた。

「当時のRITZのスタッフは総勢25名で、採用枠が1名で応募者が100名ほどいました。あの時は金井さん(金井豊 氏、RITZオーナー)もイケイケで、スタッフも全員男性でした」

一番遠いところから面接に来たという理由で、大更はトップバッターで面接をすることになり、激戦を勝ち抜きRITZへの入社を認められた。

「自分が働いていた大阪の美容室も厳しいところだと思っていましたが、それよりもさらに厳しかったですね」

東京での美容師生活は、大更の想像以上の厳しさだった。

「初日の朝から掃除とヘルプでものすごく忙しくて、21時に営業が終わるのですが、その後に練習会をして、自分の髪型が変ということで先輩にバリカン入れられてピンクにブリーチされました。しかも、初日で社長がいるからということでそのまま一緒に飲みに連れられて終電を逃しました。非常に大変な初日でしたね(笑)」

RITZ

初日から大阪時代と異なる東京の厳しさを味わい、自宅と職場の往復の日々が続いた。

「東京に友達もいなかったので、先輩に飲みに連れて行ってもらうことが多かったです。 毎日終電まで練習して、早く終わる日は先輩と飲みに行って、みたいな感じでした。殴る蹴るとかはもちろんないですが、男性スタッフしかいなかったので体育会系でしたね」

高い競争倍率を乗り越えて念願のRITZに入社した大更だったが、厳しいながらも冗談を言い合える体育会系のノリは不思議と心地良くもあった。

「雰囲気が自分に合っていると思いました。厳しかったですが、辞めようとかは一度も思わなかったですし・・・。自分の波長とすごく合っていたと思います」

RITZに入社して1年半でスタイリストになった。そこから運命が変わり始めた。

「スタイリストになって半年後に、「シザーズリーグ」という美容師が技術を競う人気のテレビ番組に出演させてもらいました。テレビの効果はすごくて、それからは街を歩いていても声を掛けられたりするようになりました」

続く

カリスマ美容師ブームのきっかけとなった人気テレビ番組「シザーズリーグ」で人気を博し、代官山の有名サロン「RITZ」を経て、表参道の人気サロン「Casii」で代表を務める大更章文。彼のもとには連日多くのファンが訪れている。そんな大更章文のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)

サッカー少年

大更は広島県三次市の出身。実家は美容室を経営していた。

「この間、実家の美容室が創業60周年を迎えました。母親は美容室を立ち上げて経営しており、父親も美容ディーラーのような仕事をしていました」

実家の自社ビルではブライダル貸衣装や美容室等を経営していた。祖母も着付けをしており、まさに美容一家で育った。

「家族全員が美容関係の仕事をしていました。2人の姉も美容師ですし(笑)」

少し特殊な環境で育った大更だったが、小学校3年生の時からサッカーに熱中していた。将来は本気でサッカー選手になるつもりだった。

進路

「美容専門学校に入学するまでずっとサッカーをやっていました。本当にサッカー一筋でした」

地元の中学校と高校に通いながら、サッカー部に所属した。

「田舎の高校だったので遊ぶも場所もないですし、本当にサッカーだけやっていました。サッカーの記憶しかないですね」

やがて高校2年生になり、将来の進路を決める段階に差し掛かった。

「2人の姉が美容師ということもあり、自分は実家の美容室を継がなくても良いかなと考えていました。そこで、大学で経営学を学ぼうと思い大学受験をしました」

美容専門学校

大学受験に落ちたら美容師になることを母親と約束して、大更は山口にある大学を受験した。

「結局、大学受験には落ちてしまいました。そこからギリギリで美容専門学校を探したのですが、どこに行けばいいのか分かりませんでした。そんな時、偶然同じクラスだった友達から「一緒に美容師やらない?」と誘われて、大阪の美容専門学校に行くことにしました」

友達に誘われるまま、姉の卒業校ということもあり高津理容美容専門学校に入学した。

「高津理容美容専門学校は大阪の中では非常に厳しい学校で、制服もありました。朝の朝礼も厳しくて、返事の声が大きくないともう一度最初からやり直させるような感じでした」

美容師として働いていた姉のマンションに住ませてもらい、そこから専門学校に通った。

「当時は1クラス120人くらいだったのですが、男子が14人しかいませんでした。その中で生き残るにはどうすれば良いかを考えて、ほとんど遊ばずに練習ばかりしていました」

続く

美容師ブームの火付け役である綾小路竹千代氏の一番弟子として、さらには女性カリスマ美容師の筆頭として美容業界を牽引し続ける角薫。そんな彼女のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)

RUALA

新卒で入社したサロンから独立して、2016年1月5日に一緒に働いていた盟友のちはると共に、神宮前に新サロンRUALAをオープンさせた。

「私とちはるの想いとして、どこに行っても恥ずかしくないように、しっかりと技術を教育することを心がけています。自分たちもそうだったように、いつか自分の道を進む時に、きちんと応援して羽ばたかせることができるようにしています」

そこには角が師匠と仰ぐ美容師、綾小路竹千代氏の影響があった。

「私の師匠の綾小路さんも、以前に「ここは美容師の学校だ」と言っていました。私たちは会社組織ですが、辞めるときは敢えて「卒業」という言葉を使っています」

RUALAは美容室であると同時に、働くスタッフにとっては技術と人間性を学び、さらに羽ばたくための場所であってほしいと考えている。

「スタッフもしっかりRUALAで学び実力をつけ、いろいろな経験をし、目標に達した後はさらなるステージを目指しステップアップしてほしいと思っています」

美容専門学生へのメッセージ

「とにかく、私たちの仕事にとって大切なのは人の繋がりです。学生の間は自由な時間がると思うので、色々な人と会ったり、遊んだりしてほしいですね。そこで、人とのコミュニケーションを学んだり、友達を作るのが良いと思います。特に同級生は将来同じ道を進んでいく仲間たちです。良いライバルとして競争し合いながら良い絆が生まれるので、是非大切にしてほしいと思います」

角には美容師として常に心がけていることがある。

「私が入社してすぐに先輩に言われたことですが、美容師を目指すのであれば常にアンテナを張っておく必要があり、街を歩いたり電車に乗る際などにも、人の髪型を研究する癖をつけるように言われました。職業病じゃないですけど、美容師なら常に人の髪型を見て、もっとこうした方が可愛くなるなとか、あのカラー綺麗だなとか、自分なりに研究してほしいですね」

角の学生時代にはなかったSNSも、今で大きな武器になる。

「SNSで気に入ったスタイルがあればどんどん保存して、自分の感性を磨いてほしいと思います。技術は練習すればいくらでも上達しますが、感性は常にアンテナを張って色々と見ておかないと、磨くことができません」

最近は、「美容師として難しい事はなんですか?」という質問を受けることが多い。

「一番難しいのは、続けることだと思います。いつスタイリストになるかが大切なのではなく、どのようなスタイリストになるかが大切です。どのようなスタイリストになりたいか?となったときに、それに5年かかっても良いと思います。人と比べて挫折して、美容師をやめてしまう子を何人も見てきましたので」

せっかく専門学校まで行って美容師になったのに、すぐにやめてしまってはもったいない。

「人は人であり、自分がどうなりたいかという明確なものを持ち、それに時間をかけてでも目指すことが何より大切です。美容師は死ぬまでできるというか、70〜80歳になってもできる仕事なので、続けることの大切さはぜひ伝えたいですね」

未来

角には思い描いている未来の美容師像がある。

「三年前に病気になり半年間休んでいるのですが、やはり健康の大切さを実感しました。そこで、更年期のヘルスケアアドバイザーの資格を取り、「美容室は街の保健室」となるための活動をしています。美容師として髪型だけでなく、人の心や健康をケアできるような相談役になりたいですし、そのような美容師がもっと増えるような活動をスタートしました」

角の美容師人生はまだ道半ばであり、これからも続いていく。目標は非常にシンプルだ、

「生涯現役でやっていくことが目標です。長いお客様は30年近く来ていただいているので、この先もずっと担当できるように、健康でやっていきたいですね。それはちはるも一緒です」

幼稚園の頃から憧れていた美容師という職業に間違いはなかった。

「美容師とはその人の人生に寄り添う職業であり、色々な人たちを元気にする職業だと思います。「手に職」と言うぐらいなので、自分の手でその人の人生をサポートしたり、変えることができる素晴らしい職業だと思っています」

美容師ブームの火付け役である綾小路竹千代氏の一番弟子として、さらには女性カリスマ美容師の筆頭として美容業界を牽引し続ける角薫。そんな彼女のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)

美容専門学校

当時の角は、将来はメイクアップアーティストになり、タレントのヘアメイクを担当したいと考えていた。

「ヘアメイクさんになりたかったので、まずは東京に出ようと思っていました。その中で、メイクアップアーティストになるためには美容師免許を持っていた方が近道という事を聞き、非常に悩みました」

実家が裕福ではなかったこともあり、美容学校に授業料を支払って進学することに抵抗があった。

「就職しようかどうしようか悩んでいたところ、母に「好きなことをしなさい」と言われ、父親の保険金を解約して美容学校の授業料を工面してくれました。なので、なるべく授業料が安い美容学校を探しました」

角が調べた中で、当時東京でもっとも授業料が安かった専門学校を選んだ。

「専門学校には真面目に通っていました。私はかなり不器用だったというか、友達はワインディングとかきれいに巻いていたのですが、自分は全然ダメでしたね。裁縫とかも得意ではなかったので、なかなか指先が動かなかったです」

中学・高校時代に学力では苦労したことがなかった角だが、技術となるとこれまでとは同じようにいかなかった。

「友達はみんな普通にできていたので、自分は学校に早く行って練習したりしていました」

ACQUA

やがて自分の就職先を決める時期に差し掛かった。角には高校生の頃から将来働きたいと考えていたサロンがあった。

「高校時代に読んだ雑誌の美容室特集で紹介されていた、ある美容室の店内の写真がアンティーク調ですごくおしゃれでいいなと思いました。どちらかというと、ヘアスタイルではなくてお店の内装を見て、この空間で働きたいと思いました」

当時から有名店だったそのサロンは、5人の新卒入社枠に対して希望者は350人だった。

「面接の時に「私を取らないと後悔しますよ!これで落ちても、中途でも良いのでまた受けに来ます」と私の想いを伝えました。まるで告白する感じでしたね(笑)」

角の熱い想いが伝わったのか、狭き門を突破して意中のサロンに入社することができた。入社してからは毎日3時間ほどの睡眠時間で一心不乱に働いた。

「私は19歳で入社して、4年後の23歳でスタイリストになりました。負けず嫌いというのもあって、早くトップになることを考えていました」

独立

27歳で副店長になり、28歳で店長に抜擢された。

「当時は見本となるような活躍されている先輩が数多くいたので、本当に全部真似してました」

店長を8年間務めた角は、36歳で独立することを決意した。

「店長をやっていた時は、自分のことよりもお店のことに全てを費やしていました。次の店長にバトンタッチする時に、上司に「角は将来何をやりたいの?」と聞かれて何も答えられなくて、そこで色々と考えさせられました」

これまでは自分のことよりお店のことを優先していたため、自分の将来について考えたことがなかった。店長になったことで夢が叶い、燃え尽き症候群のような状態になっていた角だったが、上司の一言でもう一度自分のやる気に火がついた。

「上司と話していて「以前に女性だけのサロンをやりたいと言ってなかった?」と言われたことがありました。当時はまだ男性社会というか、結婚して美容師を続けたりするのが難しい時代でした」

女性スタイリストだけの美容室を作りたいと思っていた角の想いを、上司が思い出させてくれた。

「特に独立願望があったわけではなく、周りのアドバイスもありながら、次なる自分の挑戦としてそのような目標ができたという感じですね」

続く

美容師ブームの火付け役である綾小路竹千代氏の一番弟子として、さらには女性カリスマ美容師の筆頭として美容業界を牽引し続ける角薫。そんな彼女のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)

角理容

角は青森県の三沢市出身。実家は「角理容」という名の理容室を経営しており、母親に髪型を変えてもらうことが好きな子供だった。

「母親が床屋をしていたのもあり、色々な髪型にしてもらうのが好きでした。幼稚園や小学校の時は、毎日違う髪型で行っていましたね」

中学生になると、学校の成績は常にトップだった。

「どちらかというと授業中は寝ているタイプだったのですが、勉強するコツを掴んでいたというか、効率よくやっていました」

遊びと勉強

塾に行かなくても、角は独自の勉強法を編み出してそれを実践していた。

「例えば5教科あるとしたら、帰宅後にその日に授業で習った5教科の情報をノートに全て書き込んで、1冊にします。そして、その1冊を全て覚えるという方法を取っていました」

書き込んだノートは勉強する際に最初から全て見直していたため、テスト前には必要な情報のほとんど全てが、角の頭の中に入っている状態だった。

「勉強が好きというよりも、早く勉強終わらせて遊びたいという感じでした。後は、テスト勉強をして良い成績を取ることで、親を安心させられるというか・・・」

小学校6年生の時に買ってもらったフルートをきっかけに、中学校では吹奏楽部に所属していた。中学校を卒業した角は、吹奏楽が強い地元の高校の商業科に進学した。

「高校では友達と遊んだりするのが好きでした。親からは「勉強しろ」とか特に言われたことはなく、かなり自由にさせてもらっていたので、逆に勉強して結果を出そうとしたところはありますね」

床屋と美容室

楽しかった高校生活も、やがて自分の進路を決める段階に差し掛かった。

「私は幼稚園の頃から、将来は美容師になることを考えていました。小学校の卒業文集でも、将来は美容師か文房具屋さんと書いていましたので(笑)」

母親が他の美容室に髪を切りに行く時には、角も必ず一緒に付いて行った。

「うちは床屋だったので、なんで同じハサミを使うのに、美容室はこんなに華やかなのだろうと衝撃を受けました。実家の角床屋は地味というか、近所のおじちゃんが切りに来るような、いわゆる地域の床屋さんだったので」

実家の床屋とはまた違う、美容室が醸し出す独特の雰囲気に魅了された。

「当時は明星ヘアカタログという、タレントさんのヘアカタログが流行っていて、それを小学生の時から集めていました。春夏秋冬にそのカタログが出るのですが、同じタレントさんの髪型の変化を見ていましたね。同じタレントさんなのに、ヘアスタイルでこんなに印象が変わるものなのかと見比べるのが大好きでした」

美容室の空間がたまらなく好きだった。

「友達が美容室に行く際に、自分も必ず付いて行きました。自分は髪を切らないのですが、美容室の空間が好きというか、ヘアカタログの写真を見たりするのが大好きでしたね」

将来は美容業界で働きたい。そう考えるまでに時間はかからなかった。

続く