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浅野 絢美〜ファーストペンギン Vol. 2〜

近年話題の「二刀流」というキーワードは、何も野球界だけに当てはまるものではない。美容業界にも、美容師とヘアメイクの2つの仕事をこなす二刀流のプロフェッショナルが存在する。美容師としてサロンに立ち、ヘアメイクアーティストとして多方面で活躍している「浅野絢美」のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)

上京

指定校推薦で山野美容専門学校に入学し、いよいよ東京での一人暮らしの生活が始まった。

「今も仲が良いのですが、専門学校ではすぐに友達ができました。田舎は良くも悪くも横の繋がりが強くて、どこに行っても全部漏れ伝わってしまう部分がありますが、東京はその逆でドライな感じで、自分にとっては新鮮で良かったですね」

美容専門学生時代は、様々なイベントに積極的に参加した。

「学校が開催するコンテストの存在を知る前に外部の活動に興味を持ってしまったので、外部のショーとかクリエイティブな活動を一生懸命やっていました」

専門学生が主体のイベントに企画段階から参加したこともあった。

「今考えると自分でも行動力があったなと思うのですが、mixiで専門学校主体のショーの参加者を募っているのを見つけて、一人で参加したりしていました。そこで同じ学校の違うクラスの子と知り合ったり、他の専門学校の子と仲良くなれたりしたのですごく楽しかったですね。」

社会人

やがて自身の就職先を決める時期に差し掛かった。

「ヘアメイクの仕事をしたかったので、ヘアメイクも学べるサロンに就職しました。当時は、美容師とヘアメイクを両立できるサロンは珍しかったと思います」

ついに社会人としての生活がスタートした。

「周りについていくのに必死で、仕事をしていた思い出しかないですね。それと、モデルハントをしていた時に他のサロンの子と仲良くなったりして、友達は増えていきました」

仕事で忙しいながらも充実した毎日を過ごしていた浅野だったが、スタイリストになって1年半後に浅野はある決断をした。

「もっとヘアメイクの仕事をしたかったのと、海外に行きたいと言う思いが募り、サロンを退職しました。それからは、友人に仕事を紹介してもらうなどしながら、フリーでヘアメイクの仕事をスタートしました」

LECO

程なくしてテレビ局の仕事も舞い込むようになってきて、いつの間にかヘアメイクの仕事に夢中になっていた。しかし、どんな仕事でも受けていたため体力的には疲弊していた。

「本当はワーキングホリデーでイギリスに行こうと思っていたのですが、その時は定員が少なかったのと、フランスでテロがあった影響でタイミングが悪くて、3回落ちてしまいました」

海外留学の夢を叶えられずに意気消沈していた時に、ふと思い立って美容専門学生時代に通っていたサロンに髪を切りに行った。

「7〜8年ぶりに、学生時代に切ってもらっていた内田さん(※LECO代表 内田聡一郎氏)にまた切ってもらおうと思い立って、サロンに行きました。内田さんにカットしてもらっている時に、ちょうどワーキングホリデーの落選のメールが来て・・・」

自分の現在の事情を内田氏に話したところ、内田氏から新しいサロンを作る構想を聞き、浅野もそこに参加することに決めた。

「ヘアメイクをやりたかったら自由にやっていいよと内田さんが言ってくださったので、タイミングの良さも感じて、新店に参加させていただくことに決めました」

続く

近年話題の「二刀流」というキーワードは、何も野球界だけに当てはまるものではない。美容業界にも、美容師とヘアメイクの2つの仕事をこなす二刀流のプロフェッショナルが存在する。美容師としてサロンに立ち、ヘアメイクアーティストとして多方面で活躍している「浅野絢美」のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)

書道とスポーツ

浅野は新潟県で生まれ育った。

「田舎だったので、小学生くらいの時から東京に憧れていましたね。もともと体育会系とかではないのですが、周りに流されて小学生の頃はバレーボールとかやっていました」

幼稚園から書道をやっていた浅野にとって、スポーツよりも書道の方が楽しかった。

「周りがみんなスポーツやっていたので、それならとりあえず自分もやるかという感じでした(笑)。しかし、スポーツよりも書道の方が好きでした。書道は高校3年生まで続けました」

中学生になると姉の影響でバスケットボール部に所属した。ファッションや美容に興味のある、いわゆる普通の中学生だった。

「あの頃は今のようにSNSがなかったので、ファッション誌などをよく読んでいました。
姉が3つ上なので、同級生よりも少し大人っぽい雑誌を読んでいたかもしれないですね」

ロサンゼルス

中学を卒業した浅野は、地元の商業高校に進学した。

「中学3年生の頃から、将来は美容業界に進みたいと決めていました。大学に行きたいわけでもなかったので、色々な資格が取れる商業高校に進学することにしました。そういう意味では、かなり計画的な中学生だったと思います」

進学した高校は規則が非常に厳しかった。

「生活態度などにとても厳しい高校だったので、その範囲内でいかにオシャレをするかをよく考えていました。中に着るセータの色を少し変えてみたりだとか(笑)。原宿とかにはよく遊びに行っていました」

高校2年生の夏に、ロサンゼルスに短期留学した。

「本当は中学生の時に海外交換留学制度で行こうと思ったのですが、応募が多すぎて行けなかったことがありました。それから海外が気になっていて、高2の夏休みに1ヶ月半ほどロサンゼルスに短期留学しました」

日中は現地の教会で開催される英会話のスクールに通いながら、ホームステイ先に滞在した。

「幼馴染みと一緒にホームステイしたのですが、これまで一度も喧嘩したことがなかったのに、しょうもないことですごく喧嘩しました(笑)。日本人は全国から15人くらい来ていたのですが、友達もできてよかったですね」

美容専門学校

やがて自分の進路を決める時期に差し掛かったが、浅野の気持ちはすでに固まっていた。

「ヘアメイクさんになりたかったのですが、どうやったらなれるのかが漠然としていて、よく分かりませんでした。その頃はすでにヘアメイクの専門学校もあったのですが、それでなれるのかなという不安もあったので、美容専門学校に進むことにしました」

美容専門学校に行って美容免許を取得した方が良いのではないかという親のアドバイスもあり、浅野は山野美容専門学校に進むことに決めた。

「自分の中で知っている東京で有名な美容専門学校は何校かありましたが、その中で指定校推薦があったという点と、仲の良い先輩が通っていたという点で、山野美容専門学校に決めました」

続く

その人が持つ魅力を最大限に引き出す能力に長けた女性美容師がいる。2023年10月に表参道にオープンした話題の新サロン「Fivent」の主要メンバーとして活躍する美容師・槌田美希のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)

Fivent

2023年10月12日に、表参道に新しい美容室Fiventがオープンした。

「最初からトラブル続きで大変でした。伝説の3日間というのがあったのですが、扉が付いてないとか(笑)」

最初は店長の肩書を打診されたが、自ら断った。

「もともと副店長だったのに、新店に参加するからといって急に店長になるのも違うかなと思い、副店長にしました。これから結果を出したら店長と名乗りたいと思っています」

肩書きこそ副店長だが、実質は代表の中山に次ぐナンバー2であり、店長の役割をこなしている。

「新店舗を作るにあたり自分に足りないことがたくさん分かりましたし、学びもありました。代表の中山に関しても改めて尊敬というか、サポートできたらなと思っています。まずは自分が下の子達をしっかり育てて、外に出ていく土台作りを責任を持ってやりたいと考えています」

美容学生

槌田が美容専門学校を卒業して10年以上が経過したが、今でも当時の記憶は鮮明に覚えている。現在の学生に伝えたいこともたくさんある。

「私が就職活動の時もそうだったのですが、学生の時は目の前のことを見がちというか、30代や40代になった自分の姿を考えないでお店を選んでしまう傾向があると思います。そうではなくて、10年・20年先を見据えて、ぜひ長い目で考えて欲しいですね」

美容師になるのはゴールではなく、あくまでスタートでしかない。ここから先はこれまでよりさらに長い。

「もちろん、考え過ぎて逆に良くないこともあると思いますが、まずはどういう美容師になっていたいかを考えて欲しいです。私の場合は様々な引き出しがたくさんあって、個性だけでなくオールジャンルができるような美容師になりたいと考えていました」

自分の理想の美容師像に近づくためには、どのようなサロンに入ればいいのか?それを教えてくれたのが専門学校であり、先生だった。

「新卒で入社したDIFINOは自分がやりたい事以外も入っているお店だったので、そのお陰で逆に今ではキャパも広がり良かったと思っています。私は専門学生時代から学校の先生にも相談して、色々聞いていました。サロンを選んだのはそれがきっかけでもあったので、一人で悩まずに色々と話してみるのは大切だと思います」

未来

新店舗の立ち上げに携わり、当然のことながらこれまで以上に自分のやるべき役割が増えた。

「まずはこのお店の土台作りが最優先だと思っています。今は次の後輩たちがしっかりと波に乗って行けるように、1〜2年はその土台作りをしたいと思っています。自分でやることを増やしている最中ですね」

今後やりたいことや、やらなければならないことはたくさんある。

「世代交代を徐々にしていって、自分は美容師を続けながらマネジメントや店舗展開など考えて、色々と広げていきたいと思っています。あとは、美容専門学生に向けて講師をすることも増えたのですが、今だから分かることをどんどん伝えていけたらいいなと思っています。人は育つ環境で変わると思います。後輩たちも人生がかかっているので、私が親代わりではないですが、そのくらいのつもりでカリキュラムとかも考えたいですね」

小学4年生の時に初めて美容師という職業を知って、憧れた。もともとはシャイだった槌田だが、高校時代のスーパーのレジ打ちバイトをきっかけに人と接する仕事の楽しさに気づいた。

「人と接することで色々と学びもありますし、アドバイスをいただけたりして自分を成長させることができます。美容師という職業は自分にとってリフレッシュできますし、やりがいでもあり、なくてはならないものですね。毎日お客様と触れ合う中で、自分は人と触れ合うことがすごく好きなのだとこの仕事をして感じます」

槌田とFiventの今後から目が離せない。

その人が持つ魅力を最大限に引き出す能力に長けた女性美容師がいる。2023年10月に表参道にオープンした話題の新サロン「Fivent」の主要メンバーとして活躍する美容師・槌田美希のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)

就職活動

やがて自身の就職先を決める時期に差し掛かった。槌田にはどうしても就職したい原宿のサロンがあったが、そこは採用人数がわずか2人で倍率が100倍のサロンだった。

「今考えると、どうしてそのサロンに行きたかったのか分からないですね(笑)。そんな中で、一緒に就職活動をしていた同期の友達がこぞって「ここいいよね」と言っていたサロンがDIFINOでした」

当時の槌田の服装や髪型はいわゆる原宿系だったため、原宿系の美容室に就職することしか考えていなかった。

「DIFINOは原宿系のサロンではないのですが、自分が知らない世界も見た方がいいかなと思ってサロン見学に行きました。すると、人が暖かくてすごく惹かれて、ここで働きたいと思うようになりました」

社会人

DIFINOに入社した槌田は、神宮前のサロンに配属された。実家を離れての一人暮らし。社会人としての新生活がスタートした。

「朝から晩まで働いていたので、自宅はただ寝るために帰る場所みたいな感じでした。スタイリストになるまで丸5年かかったのですが、この時の記憶がまるでないですね・・・」

唯一の息抜きは、モデルハント後の空いた時間だけだった。

「スタイリストになれた時は本当に感動しました。スタイリストになれたことで、昔から憧れていた美容師にやっとなれたというか、そのステージに上がれたなと思いましたね」

仕事に追われながらも念願の美容師という職業に就くことができて、槌田は充実した毎日を過ごしていた。

「自分はメイクがすごく好きなのですが、当時はメイクのできる人があまりいなかったので、自分がほとんどやらせてもらっていました。大変でしたけど、それによって技術を磨くことができたので今は感謝しています。運が良かったと思いますね」

退社

表参道店で8年働いた後に、赤坂店に異動になった。

「赤坂店に異動になってすぐに副店長に昇格しました。同じ店に私とは別に副店長がもう一人いて、私より先輩なのですがライバルというか、刺激をもらいながらやっていましたね」

赤坂店で7年間働いた後に槌田はDIFINOを退社して、2023年10月に表参道にニューオープンしたサロン「Fivent」に立ち上げメンバーとして参加した。

「DIFINOを退社した理由としては会社との方向性の違いもあるのですが、私自身が表参道に戻りたくなったというのもあります。やはり、昔から表参道を歩くのが好きというか、ファッションセンスのある方をたくさん見れるし、自分たちがそういう方々の髪型をさらにサポートして、おしゃれを発信して行きたい場所でもあったので、いつかは表参道に戻りたいと考えていました」

自分が今後どうしたいかを考えた時に、同じような考えを持った美容師が自然と何人か集まった。そして、表参道にFiventをオープンした。

続く

その人が持つ魅力を最大限に引き出す能力に長けた女性美容師がいる。2023年10月に表参道にオープンした話題の新サロン「Fivent」の主要メンバーとして活躍する美容師・槌田美希のこれまでとこれからに迫る。(敬称略)

スポーツ

槌田は東京都の墨田区出身。一人でも遊ぶことが好きな子供だった。

「小学3年生ぐらいまでの記憶というものがなくて(笑)。それまでは本当に無邪気にというか、無心になって遊んでいたのだと思います。もちろん、ドッジボールとか鬼ごっこはしていましたが、室内遊びだと他のみんなが好むようなゲームやリカちゃん人形で遊ぶというよりは、一人で黙々と何かを作ったりとか、そういった遊びの方が好きな子供でした」

幼少期から数多くの習い事をしていた。

「水泳と体操と学習塾に通っていました。あまり好きではなかったのですが、小学校の低学年の頃は体が弱かったので、体を鍛えるという意味で水泳などは通っていました。姉が先にやっていたというのも大きかったですね」

中学生になると、ソフトテニス部に入部した。

「友達と一緒に何をやりたいか考えていて、勢いでソフトテニス部に決めたという感じです。先輩が厳しい時代でサボれないというのもあったので、真面目にやっていました。体調が悪いとき以外は休めなかったので、結構厳しかったですがとても楽しかったです」

厳しい練習の成果もあり、最終的に区の大会で3位になるほどに成長した。そして、中学校を卒業した槌田は自宅から近くの高校に進学した。

「最初にソフトテニス部に入部したのですが、コートが小さい割に部員が多くて、全然自分の番が回ってこない状況でした。それでつまらなくなってしまい、バレーボール部に入部し直しました」

最初はマネージャーとして関わる予定だったバレーボール部だったが、顧問の先生の強い薦めもあって、選手として関わることになった。

「バレーボールがすごく上手とかではなかったのですが、運動はしておいた方がいいかなと思って続けました。もちろん、友達とカラオケ行ったりプリクラ撮ったりとか、普通の遊びもしていました。勉強はあまり好きではなかったですね(笑)」

美容師

高校2年生になり自分の進路を決める時期に差し掛かった。槌田はすでに美容師になることに決めていた。

「小学4年生の時からずっと、将来は美容師になりたいと思っていました。当時は母親に前髪を切ってもらっていたのですが、母親が長電話をしていてなかなか切ってもらえなかった時があり、自分で切ったことがありました。そしたらその快感に目覚めて、そこから美容室に行きたいと思うようになりました」

それからは、美容室に行くたびに美容師の技術を注意深く見るようになった。そして、いつからか槌田が友達の髪の毛を切るようになった。

「小学5年生ぐらいから、友達の髪の毛を切るようになりました。もちろんグチャグチャでしたけど、切った子たちが周りに褒められているのがとても嬉しくて・・・。その時から、将来は絶対に美容師になりたいと思っていました」

美容専門学校

高校を卒業した槌田は、タカラ美容専門学校に入学した。

「父親が文房具店を営んでいるのですが、そこに偶然お客さんとしてタカラ美容専門学校の卒業生の方が来ていて、勧められたというのがきっかけです」

高校時代から続けていたスーパーでのレジのアルバイトを続けながら、真面目に専門学校に通う日々が始まった。そして、全国理容美容学生技術大会(通称:理美容甲子園)では全国3位という偉業を達成した。

「座学による勉強は苦手だったのですが、実技が好きで得意でした。と言っても、学校でもほとんど練習していませんでしたね(笑)」

続く

千葉県と東京都を中心に6ブランド59店舗の理美容室を展開している株式会社オオクシ。これまでに日本経営品質賞や日本サービス大賞を受賞し、22期連続増収を記録するなど、理美容業界の枠を超えて多方面から注目されている。そんな株式会社オオクシで、会社を支えているひとりの美容師がいる。今回は、株式会社オオクシでエリアマネージャーとして活躍している美容師・鍛治直也の「過去」「現在」「未来」に迫る。(敬称略)

エリアマネージャー

次の仕事への繋ぎという軽い気持ちで働き始めた鍛冶だったが、気付くとその考えが消えていた。

「自分のポジションが変わったというのもありますが、美容師としての仕事のみに集中できるというのが大きいですね。美容師として働く上で最高の環境を会社が用意してくれていますし、夜も早く帰れて家族との時間を作れますので、そこは嬉しいですね」

気付いたら、入社13年目のエリアマネージャーになっていた。

「辞める気は全くなくて、会社というか社長を支えていきたいなと思っています。現場が好きなので、このままサロンに立ってお客様と接していたいですね。あくまで現場で結果を出していきたいと思っています」

専門学生に対するメッセージ

鍛治は高校卒業と同時に、美容師見習いとして美容室で働きながら通信過程で美容師免許を取得した。

「この前、ある美容専門学校のコンテンストを見る機会があったのですが、学生の皆さんがすごく楽しそうで羨ましかったですね」

通信過程で勉強していた鍛冶には、いわゆる学校生活というものがほとんどなかった。

「学生の時しかできないことがあると思うので、そういう機会があったら是非楽しんでやってほしいと思います。友達をたくさん作って、色々なことにチャレンジしてほしいですね」

通信過程で学んでいる学生には、特に意識して外に出てほしいと強調する。

「通信過程は特に人と触れ合う機会がなかったりもするので、クリエイティブな側面を磨くためにヘアショーを見に行ったりとか、色々な場所にどんどん足を運んでほしいですね」

風の時代

鍛治が美容業界に入って29年が経過した。業界を取り巻く状況も、29年前とは全く異なっている。

「個人店の美容室とかが苦労しているところを見ると、やはり大変な業界だなとは思いますね。昔はほとんどの美容室がお客様で一杯でしたが、今は人気店とそれ以外とで2極化しているような気がします」

お客様が美容室に求める価値観も、時代と共に変遷している。

「社長から聞いたのですが、以前は物質的な「モノ」に価値を見出していましたが、今は目に見えないものに価値を見出すいわゆる「風の時代」です。値段ではなくて、あの人に切ってもらいたいと思われることが重要です。美容師にとって技術はもちろん必要ですが、それだけではなく人間性も必要な時代になっていると思いますね」

美容師という職業は、鍛治にとって天職だった。

「美容師は単純に楽しいですね。お客様が希望の髪型になって喜んでもらえるとすごく嬉しいですし、その喜びを直接感じることができるのも美容師だからこそだと思います。お客様から感謝の言葉をいただけた時は、美容師になって本当に良かったと思います 」

千葉県と東京都を中心に6ブランド59店舗の理美容室を展開している株式会社オオクシ。これまでに日本経営品質賞や日本サービス大賞を受賞し、22期連続増収を記録するなど、理美容業界の枠を超えて多方面から注目されている。そんな株式会社オオクシで、会社を支えているひとりの美容師がいる。今回は、株式会社オオクシでエリアマネージャーとして活躍している美容師・鍛治直也の「過去」「現在」「未来」に迫る。(敬称略)

TAYA

高校を卒業して入社したサロンは人にも恵まれて働きやすい環境だったが、さらなる技術を身に付けたかった鍛治は、やがて他のサロンへ転職を考えるようになっていた。しかし、美容専門学校の通信課程の授業料を負担してもらっているため、卒業するまでは働き続けた。そして、無事に美容師免許を取得することができた。

「当時働いていたサロンの店長に退職の相談をすると、TAYAを紹介してくれました。自分は都内の店舗を希望したのですが、柏店に配属になりました」

技術を求めて新しい環境に飛び込んだ。また一から勉強する覚悟をしていた。

「前職のサロンとは異なり、そこでは毎日終電まで練習していました。朝6時過ぎに自宅を出て8時から朝練やって、自宅に帰るのが深夜1時とかでした」

自宅には寝るために帰るだけだったが、技術を習得したいという最初の希望を叶えることはできた。

「大きな会社だったので、カリキュラムも充実していました。結果的に、そこで色々な技術を身に付けることができましたね」

転機

念願のスタイリストになり、仕事漬けの毎日だった。

「当時は本当に仕事しかしていませんでした。結婚しようと考えていたのですが、毎日帰りが遅かったりしたので、このままの生活を続けながら結婚するのは難しいと感じていました」

仕事に追われる毎日の中、いつしか転職を考えるようになっていた。

「一度美容師を離れようと思って、プロピアという育毛関係の会社に転職しました。スーツを着て仕事行って、いわゆるサラリーマンでした」

プロピアで順調に働き始めた矢先、なんと会社が民事再生することになった。

「さすがに、このままこの会社にいて大丈夫か?と思うようになって、今の会社(株式会社オオクシ)を知り合いに紹介してもらい、転職しました」

オオクシ

オオクシに入社した当初は、次の仕事までの繋ぎという軽い気持ちだった。

「最初は客層の違いに戸惑いましたね。これまでは女性のカットしかしてこなかったので・・・。男性を切ったこともないですし、バリカンを使ったこともありませんでした」

仕事のスピードも、自分の想像以上に速かった。

「周りのスタッフはみんなカットも速くてビックリしました。自分だけひとり遅くて、速くやらなきゃと常に追われていました」

続く

千葉県と東京都を中心に6ブランド59店舗の理美容室を展開している株式会社オオクシ。これまでに日本経営品質賞や日本サービス大賞を受賞し、22期連続増収を記録するなど、理美容業界の枠を超えて多方面から注目されている。そんな株式会社オオクシで、会社を支えているひとりの美容師がいる。今回は、株式会社オオクシでエリアマネージャーとして活躍している美容師・鍛治直也の「過去」「現在」「未来」に迫る。(敬称略)

工場でのアルバイト

福岡県で生まれた鍛治は、父親の仕事の関係で小学生の時に千葉県松戸市に引っ越してきた。

「小1から中3まで野球部でした。野球を始めた大した理由はないのですが、サッカーをやろうとしたら人が集まらなかったので野球しか選択肢がなかったですね」

中学3年までは、野球と遊びに明け暮れた毎日だった。

「遊びといっても田舎なのでサッカーをしたりとか、いわゆるスポーツをしていたという感じですね」

高校時代はアルバイトに明け暮れていた。

「バイト禁止の高校で、コンビニやガソリンスタンドでバイトすると先生にバレてしまうので、工場でずっと働いていました。2年半ぐらい働いていましたね」

工場では商品を仕分けして配送するという軽作業を行っていた。

「稼いだお金は洋服に使ったりしていました。高校時代はアルバイトの思い出しかないですね(笑)」

美容師

やがて、自分の進路を決める段階に差し掛かった。

「そもそもあまり勉強が好きではなかったので、大学に進学するという選択肢はなかったですし、お金もなかったので、工場でもどこでもいいからとにかく働くしかないと思っていました」

そんな時、あるテレビ番組を偶然見たことで鍛治のその後の人生が決定付けられた。

「ウルルン滞在期というテレビ番組でヴィダルサスーンの特集をしていて、それを見て美容師という職業も面白そうだなと思いました。その翌日に高校に行って、さっそく美容室の求人を探しました」

高校で美容室の求人を探したところ、運良く美容師見習いの求人があった。先生に相談して、その美容室に応募することにした。

「その美容室を選んだ大きな理由は、専門学校の通信課程の授業料を全て負担してくれる点でした。授業料を負担してくれるなんてラッキーだと思って試験を受けたら、無事に合格できました」

社会人

高校を卒業し、美容師見習いとしての社会人生活が始まった。

「就職したそのサロンはチェーン店で、自分は松戸のお店に勤務することになりました。人に恵まれた環境だったのですが、最初の頃は学生のノリが抜け切れてなくて、言葉遣いや態度などをお客様に怒られたりしました」

練習は週に一度しかなく、世間がイメージする美容師見習いの劣悪な労働環境とは異なり、非常に恵まれた労働環境だった。

「最初は居心地が良かったのですが、美容師としてこれからやっていくと考えた時に、練習時間が少ないためしっかりした技術を身につけることができるのか不安になっていきました」

美容師としてこれから独り立ちできるのか不安になってきた鍛治は、いつしか転職を考えるようになっていた。

続く

アニメのキャラクターをモチーフにしたカラフルなカラーデザイン「2.5Dカラー」を筆頭に、アニメと美容室を掛け合わせた新しい試みのサロンとしていま注目を浴びている美容室がある。唯一無二の美容室Willeを創った「志賀尚之」が歩んできた、これまでとこれからに迫る。(敬称略)

ブレイクスルー

Willeをオープンしてから半年間は、売り上げも伸びずに毎日悩み続けた。しかし、従来の美容室のイメージにとらわれない店づくりを始めたところ、徐々にお客様の数が増えてきた。

「結局、美容室は何か決まった形があるわけではなくて、自分が思った通りにやってもそれを好きなお客様が来てくれることが分かったので、今の形になりました。それと、このエリアは競合他社がすごく多いので、何か差別化を図るために色々とやったというのが、一番大きな理由ですね」

今では、Willeの代名詞であるアニメのキャラクターをモチーフにしたカラフルなカラーデザイン「2.5Dカラー」を筆頭に、アニメと美容室を掛け合わせた新しい試みのサロンとして注目を浴びる存在に成長した。

「これまでで大変だったことは、やはり教育ですね。集客や技術より、スタッフ教育が一番大変です。性格的に曲がったことが好きではないので、全体的に道を外さないで欲しいと思っています。例えば、挨拶はちゃんと出来た方が良いし、返事も大きな声の方が良いのは当然です。技術の上手い下手よりも、お客様に対してのホスピタリティの重要性という主軸はズレたくないので、そこはスタッフに一番伝えていますね」

礼儀礼節を重んじる姿勢は、警察官の父親の影響が大きい。

「少し堅いと思われるところはあるかもしれませんが、礼儀礼節と感謝を持って日々過ごすことは大切なことだと思っています。どんなに時間が経ってもお世話になった人には感謝すべきだし、自分も1年目や2年目にお世話になった方々には今でもすごく尊敬していますし、人として変わりたくないと思っていますね」

美容専門学生へのメッセージ

Willeには全国から毎年多くの新卒の応募がある。学生時代に心掛けておくべきことを聞いた。

「今学生だったら時代的に無敵だと思いますね。自分が学生の時はまだSNSが普及しておらず、ツイッターやインスタグラムもありませんでした。今の時代はSNSをはじめとして使えるツールが多いので、そうところは恵まれていると思います」

志賀が学生の時は、スマホではなくいわゆるガラケーしかなかった。

「学生だけでなく、1年目のアシスタントでもそうですが、そのような使えるツールはどんどん活用して欲しいですね。学生だったら、卒業したらすぐに売れる準備もできると思います。そういうところを特化して過ごして欲しいですね。」

また、美容専門学校自体の変化も必要であると考えている。

「美容専門学校で2年間国家資格を取る勉強をしますが、そこから出て社会人になる時にはなにも出来ない状態でサロンに入社するのが現状だと思います。もう少し学校がサロンワークよりの、ある意味即戦力になれるというか、すぐに売れる準備をしてあげることができれば良いと思いますね」

今も昔も、社会人になってすぐに美容師としてスタートできる環境が不足している。

「アシスタントの時期に離職するパターンが多いので、それをなるべく減らすためにも、学校自体のシステムを変える必要があると思いますね。すでにそういう学校もあるかもしれませんが・・・」

未来

志賀とWilleはこれからどこに向かうのか。行き先のイメージはもうできている。

「美容室としてナンバーワンを取りたいとか、そういうことは思ってなくて、お客様からこのサロンに行きたいと思ってもらえるような、オンリーワンのサロンを目指していきたいですね」

Willeの個性はどんどん強くなるばかり。もはや唯一無二のサロンと言っても過言ではない。

「うちのスタッフはアニメじゃなくてもみんな何かしらのオタクです。様々なジャンルに特化した強い個の力が集まった集団にしていきたいと思っています」

最後に、志賀にとって美容師とはどんな職業かを聞いてみた。

「自分もそうだし、自分に関わるすべて方々の人生を変えることができる職業だと思います」

今日も志賀は、Willeで誰かの人生を変えている。