高木裕介〜カリスマの真実 Vol.3〜
各世代に伝えたいこと
美容業界を牽引し続ける高木だからこそ、彼の具体的なアドバイスを聞きたいという読者も多いと思う。そこで、各世代別に対するアドバイスを聞いてみた。
「美容学生だったら、SNSのフォロワーがどうしたら増えるのかをよく考えて、友達を増やして、よく遊んで欲しいですね。アシスタントは、今は休みも多いし自由な時間が多いのでもっと練習をして欲しいですね。今は僕らの時より休みが月に4日くらい多いと思いますが、その時間を遊ぶのと練習するのとでは、年間で換算すると何十時間と差がついてしまいます。
スタイリストに関していうと、30歳過ぎのスタイリストは時代に上手く対応して行かないと、今の20代のスタイリストにすぐにやられてしまうと思います。SNSに弱いとか言っている場合ではないですね」
20代のスタイリストはカットの技術が大切
20代のスタイリストが最も重視すべき点は、カットの技術であると高木は言う。 「他の店のことはあまり分かりませんが、20代のスタイリストはカットに集中している人が少ないですね。今は薬剤の質が良くなっていて、ヘアケアの時代です。カラーが上手いと売れてしまいます。しかし、そこでおさえたお客様も必ず歳をとり、40歳を超えてくると髪に色々な悩みが出て来ます。その時に大切なのが実はカットなのです」
どれだけ薬剤の質が向上しようとも、カットの重要性は変わらない。
「スタイリストの年齢とお客様の年齢はおよそ比例します。たとえば、25歳のスタイリストなら、25歳前後のお客様が多いと思います。そして、そのスタイリストが40歳になった時に新規のお客様を取るのは困難なので、25歳の時のお客様を40歳まで繋ぎ止めておく必要が出てきます。その時に、お客様の髪の難しさのレベルも上がるのです。先ほど言ったように、40歳を超えると髪の悩みが色々と出て来ますから」
まさに高木ならではの、核心をついたアドバイスである。20代のスタイリストは是非参考にしてほしい。
「大人の女性からよく聞くセリフがあります。「あの人にずっと切ってもらっていたけど、実はあまり上手くなかった、気付かなかった」というものです。カット料金を上げることができるスタイリストなのか、失客してしまうスタイリストなのかの分かれ目は、ヘアケアでもカラーリングでもなんでもなくて、カットの技術だと思います。これは、僕も若い頃は気付きませんでしたが、早めに気付いて対応したほうがいいと思います」
業界を変革するために
常に全力疾走で美容業界の中心を走り続けてきたからこそ、現状の美容業界に対する憂いと想いは誰よりも熱い。 「不動産やITだったり、業界によっては日本は盛り上がっていますが、美容業界は違います。昔ながらの伝統的な美容室をやっていて稼げている人がいないということは、何か問題があるということだと思います。料金体系なのか雇用体系なのか、何なのか分からないですが・・・。それを僕は変えていきたいですね」
様々な美容室からなる東京ブレンドを設立したのも、発言権を得て業界全体を変革するため。この業界を良くしたい。その想いと実行力は誰にも負けない。
「美容業界を全方位から底上げしていきたいと思います。業界が変わるきっかけが作れれば、僕がいた意味があるのかなと思いますね」
彼なら、他の業界で生きていたとしても必ず成功していたに違いない。高木裕介の今後からますます目が離せない。
完
「高木裕介」という名前を聞いて、美容業界の人間ならば知らないものはいないだろう。タレント、モデル、メジャーリーガー等を顧客に抱え、ファッション誌、テレビCMのヘア&メイクも手がける。同時に、U-REALMグループのCEOとして組織を牽引し続けている。そんな稀代のカリスマ、高木裕介は今何を考え、どこに向かおうとしているのか?業界トップリーダーの過去・現在・未来からその秘密を紐解いていく。(敬称略)新たな出会い
人気サロンのSHIMAで働く切符を手に入れた高木だが、1年間で退職した。 「当時は自分がチャランポランだったので、ついて行くことができませんでしたね」 その後に、別の店舗で充実した美容師ライフを送っていた高木だが、当時のカリスマ美容師ブームが彼の心を刺激した。 「その頃にちょうどカリスマ美容師ブームがあり、どうやらすごく稼ぐ人たちがいるらしいと聞いて、そのようになりたいと思いました。そして、色々と考えた結果、宮村さんについて行くことにしました」
熟考の結果、宮村浩気氏が立ち上げたアフロートのオープニングスタッフとして参加した。
「当時は、がむしゃらに売れることしか考えていませんでしたね。余計なことは何も考えていませんでした。給料がどうとか、休みがどうとかは考えたこともなかったです」
寝る間も惜しんで働き続きた高木だが、ついに独立を決意してアフロートを円満退社する。
「宮村さんとは今でも一緒にヘアショーのステージに立たせてもらったり、一緒に旅行に行かせてもらったりしています。今の自分があるのも宮村さんのお陰だと思っていますので、本当に感謝しています」
U-REALMの立ち上げ
アフロートを退社した高木は、U-REALMを立ち上げた。 「立ち上げ当初はすごく順調でしたが、当時はどんぶり勘定で自分も子供でしたので、だんだん業績が悪化してきました。同時に、自分もヘアメイクの仕事が増えて店を見れなくなって、色々と問題が起きてスタッフが辞めていってしまいました。あの時の自分を今になって思うと、自分のキャリアしか考えていなかったですね。自分がキャリアアップして有名になってとか、そういうことばかり考えていました」
その結果、スタッフがどんどん退社していくという事態が発生する。
「ヘアメイクの売り上げは凄かったのですが、それだけ働いても利益が出ないという、そんな状況でした。そこで、店を立て直すためにヘアメイクをやめました。ヘアメイクやめるという覚悟を決めた時に、自分のキャリアはもういいなと思いました。これからは経営者になろうと」
経営者として
高木が経営に没頭してからのU-REALMの快進撃はご覧の通りである。 「今は、スタッフの給料を上げられたり、休みを増やせたり、旅行に行かせられたり、決算賞与を出せたりする瞬間にやりがいを感じます。やはり自分は経営者なので・・・。 美容室が儲からないとか、美容師の給料が少ないというのは経営者の問題だと思っています。経営者がデザイナーを気取ってしまうと儲かる商売にはなりません。経営者は経営者です。経営者がデザインに没頭しすぎると、経営はうまく行かなくなりますね」
美容業界の今後を誰よりも案ずる高木だからこそ、美容業界の悪しき伝統を変えたいという気持ちは誰よりも強い。
「オーナーが潤わないと幹部も潤わないですし、幹部が潤わないととスタイリストも潤わないですから。今までの美容業界はオーナーしか儲からない世界でしたが、それを打開しない限り発展はないと思います」
Vol.3に続く
「高木裕介」という名前を聞いて、美容業界の人間ならば知らないものはいないだろう。タレント、モデル、メジャーリーガー等を顧客に抱え、ファッション誌、テレビCMのヘア&メイクも手がける。同時に、U-REALMグループのCEOとして組織を牽引し続けている。そんな稀代のカリスマ、高木裕介は今何を考え、どこに向かおうとしているのか?業界トップリーダーの過去・現在・未来からその秘密を紐解いていく。(敬称略)
きっかけは「なんとなく・・・」
高木は1977年8月15日に、3人兄弟の末っ子として北海道で生まれた。
「おかげさまで両親は健在で、兄が二人います。父親は、北海道開発建設局(※国土交通省の地方支分部局)で働いていました」
北海道で生まれ育った高木は、地元北海道の小学校、そして中学校に進学する。
「その頃は真剣にサッカーをやっていて、ポジションはミッドフィルダーでした。高校に進学した後もサッカーを続けていたのですが、あまりチームも強くなくて、だんだんと身に入らなくなってきました。ちょうどファッションや遊びにも興味が出てきた時だったので・・・」

そして、高校2年の時に美容師になろうと決意する。
「理由は、なんとなくですよね。今みたいに美容師がファッショナブルであるとか、そういうものではなかったので。大学行かないなら、職業はこれとこれとこれしかないよね、みたいな感じでした。今みたいに「夢を持って」みたいなのはなかったですし、有名な美容師さんは誰も知りませんでした」
北海道から東京へ
なんとなく美容師を志した高木は、高校卒業後に東京にある山野美容専門学校に入学する。
「最初は札幌の学校でいいかなと思っていたのですが、「勉強するなら東京に行け」と周りの大人に言われて東京の学校に行きました。周りの大人がお膳立てしてくれましたね」

周囲の大人のサポートもあり、生まれ故郷の北海道を離れて、東京での新しい生活がスタートした。
「当時は風呂なしでトイレが共同の、寮みたいなところに住んでいました。学生時代はバイクのチームを作ったり、渋谷に行ったりとよく遊んでいましたね(笑)。もちろん、学校は真面目に通っていました」
大人気サロンへの就職
当時の専門学校は1年制。秋には就職先を決める必要があった。
「一番流行っていると言われて、SHIMAに入りたいと思いました。昔から、一番流行っているとか、一番凄いであるとか、そういうナンバーワンのお店に入りたいという気持ちはあったので・・・。それからは、SHIMAに入るためにはどういう服装をしたらよいのか等、色々と研究しました。1000人以上の応募があり、25名ぐらいしか受からなかったと思います」

努力の結果、凄まじい倍率の中を突破して高木はSHIMAに入社した。
「今でもやっていることは同じですよね。頭を使って、どうしたら相手が求めているものに応えられるのかを考えるということです」
なんとなく美容師になろうと東京に出て来て1年、誰もが羨む人気サロンに就職が決まった。ついに激動の美容師人生の幕が開けた瞬間だった。
Vol.2に続く
表参道にある美容室Gratiiの統括ディレクター・足立孝史。素人にも分かり易い解説と直筆のイラストが加わった彼のブログは、読者から絶大な人気を誇り、アメブロのジャンル別ランキングで1位になることも少なくない。最近ではブログで用いている独特なキャラクターをLINEで販売したりと、既存の美容師の一般的なイメージをことごとく覆す。それは天賦の才かそれとも努力の賜物か。足立の過去、現在、未来からその才能の源を探り出す。(敬称略)Gratiiの統括ディレクターに
運営をグループに任せるようになった足立だが、結婚を境に意外な転機が訪れる。 「今はどうか分かりませんか、所属していた親会社は家族の時間を作るのが難しい環境にありました。有名になりたいと思う気持ちが大きい人にはすごくいい環境だったと思うのですが、結婚をして家庭を省みる必要が出てきた自分にとってはかなり厳しい環境でした。 仕事に対するスタンスって歳を重ねるごとに変わってくると思いますが、当時はその過渡期でしたね」
そんな仕事に対するスタンスを変えようと思っていた矢先、事態は急変する。かねてより旧知の仲であった大更(現Gratii代表)から、自分が今度オープン予定の美容室で一緒に働かないかと声をかけられたのだ。
そして、ついに大更とともに働くことを決意する。
「会社を回すということよりも、お客様を大事にするということに目を向けられる環境があったことが、合流した理由です。今の自分に合っていたということですね」
足立流SNSとの付き合い方
今がとても充実しているという足立。LINEスタンプを販売しているのもその証拠かもしれない。ちなみに、LINEスタンプを作って販売しているのは完全に自己満足とのこと。
また、足立といえばアメブロのジャンル別ランキングで1位になることも少なくないブログが有名だ、
「アメブロをやり始めた経緯は、お客様に自分のことを知ってほしいからですね」
足立のブログは、いわゆる美容のプロではない素人に対して分かりやすく髪のメカニズム等について解説している。プロ向けではない。だから、誰が読んでも理解できる。お客様の目線で考えたときに必要な情報が大量に入っている。
もしまだ読んだことがない読者の方は、ぜひ一度読んでほしい。これほど論理的に分かりやすく解説してくれるブログは唯一無二と言えるだろう。
そんな足立だからこそ、最近では避けては通れないSNSに対しての意見も聞いてみた。
「今の時代、SNSは必須ですよね。僕らの時代は、まず技術があり、次にカメラが進化したため撮影を覚える必要が出てきて、また次にブログが流行したためにブログを覚えてというように、順番に覚えればよかったのです。
しかし、今の時代はその全てが既にそろっているので、若い子たちは同時に覚える必要がある。だから最近の若い子は本当に大変だと思いますよね」
ずっと美容師でいたい
これから美容師に求められるスキルとして、足立は「自己プロデュース」が必要だと主張する。 「それしかないと思います。技術が下手でも、自分自身を外に上手に見せる方法がないと何の意味もないですよね。今までは、いかにカットに再現性があるかとか、いかに良い接客ができるかが大切でした。もちろん、これらは今でも大切です。 しかし、今は外に対して情報発信ができないとお客様がまず来ないですね。昔と違って、今は雑誌に掲載されたからといってお客様は来ないですから。各個人がそれぞれ情報発信してお客様を呼ぶ必要があります」
今後の目標を聞いてみると、足立らしい答えが帰ってきた。
「これから、自分のお客様の年齢層的にも表参道に来ることが困難になってくると思います。それをどうケアしていくのかが課題ですね。来たいけど来れなくなってしまったお客様に対して何ができるのかというのを考えています。
有名になりたい、お店を大きくしたいということよりも、よりお客様と密になった関係性を作っていきたいと思っています。ただお客様といい関係になりたいですね」
最後に、「美容師とは?」という質問をしてみた。
「美容師は、その人をより輝かせるためのお手伝いをする人だと思っています。僕はヘアメイクアーティストではなくて美容師です。これは僕の考えですが、ヘアメイクアーティストはその場でその人を綺麗にしますが、美容師はあくまでお客様が自宅等で自分でやった時に綺麗になるようにすることが仕事です。僕はずっと美容師でいたいと思っています」
目の前のお客様をいかに輝かせ、その望みを叶えるか。それのみを一心不乱に探求するその姿勢は、まるで現代の侍といっても差し支えない。そんな表参道の侍から、今後も目が離せない。
完
表参道にある美容室Gratiiの統括ディレクター・足立孝史。素人にも分かり易い解説と直筆のイラストが加わった彼のブログは、読者から絶大な人気を誇り、アメブロのジャンル別ランキングで1位になることも少なくない。最近ではブログで用いている独特なキャラクターをLINEで販売したりと、既存の美容師の一般的なイメージをことごとく覆す。それは天賦の才かそれとも努力の賜物か。足立の過去、現在、未来からその才能の源を探り出す。(敬称略)
理想と現実の狭間で過ごした大阪時代
退学の危機にありながらもなんとか福岡の美容学校を卒業した足立は、大阪のサロンに就職する。 「本当は東京のサロンに行きたかったんです。雑誌の仕事とかやりたかったので。でも落ちてしまったんです。そんな時に、大阪の有名なサロンを学校の先生に勧められて入社しました」
大いなる期待を胸に入社した大阪のサロン。しかし、いざ入社してみると自分のイメージとは異なっていた。
「若い時って、今っぽいのをやりたいとかいうのがあると思うんですけど、そのサロンはおばあちゃんのお客様が多かったですね」
普通なら自分のやりたいことができないこの状況に焦るはずだが、足立は違った。
「そのサロンは、技術的にも昔ながらの〜みたいなところがあったのですが、考え方によってはきちっとした技術があったサロンなので、技術の習得を優先して働きました」
その結果、足立は3年で確かな技術を身につけたスタイリストになった。
満を持して東京に
技術の習得のためにそのサロンに籍を置いていたが、その技術はもう身につけた。これからはスタイリストとして東京で活躍したいという思いを胸に、足立はついに東京に行く。 「東京に出てきたときは、友達の家に滑り込んで4人くらいで住んでいました。仕事も何も決まってないのに東京に出てきましたね。そこから仕事を探してました。もう直接お店に電話しましたね」
東京では、いわゆる1000円カットのお店でも働いた。同じ美容室なのに何が違うのかを自分で実感したかったからだ。
「いろんな美容の形を見たいと思いました。同じ髪を切る仕事の1000円カットですが、何が違うのかをこの目で見たかったんです」
貪欲に新しい世界を見て、良いところを吸収して行く。1000円カットのビジネスモデルを学んだ後、足立は当時まだ斬新だったトータルビューティーを売りにしたサロンに就職する。新しい業態に興味を持ったからだ。
人生最大の挫折
トータルビューティーを売りにしたそのサロンは、今まで足立が経験したことのないほど大きなサロンであり、そこで初めて挫折を味わうことになる。 「なかなか認めてもらえなくて悔しかったですよね。技術的なこともそうなのですが、全てですよね」 それでも諦めずに働き続けた結果、足立はグループ傘下の美容室の代表に上りつめる。しかし、経営が苦しい時期が続き、グループに吸収すれるという残念な結果になった。最大の原因は人員不足。もともと最初から足りない人員でお店の売上を上げなければならないという相反する状況では、いくら足立でもどうすることもできなかった。
「会社からは君のせいではないと言われましたが、最初から人員不足が分かって進めていくのはなかなか大変でしたし、すごく落ち込みました。経営に向いてないんだなって思いましたね、今も思っていますが・・・。
例えば、売上の上がらないスタッフがいた時に、経営者として最終的に厳しい判断ができるかと言われたら僕にはできないですね」
人にはタイプがある。足立は経営者のタイプではなかったのだ。根っからの美容師なのだ。
いつまでも落ち込んでばかりはいられない。捨てる神あれば拾う神あり。そんな足立の心中を察するかのように、結婚を機に事態は好転して行く。 表参道にある美容室Gratiiの統括ディレクター・足立孝史。素人にも分かり易い解説と直筆のイラストが加わった彼のブログは、読者から絶大な人気を誇り、アメブロのジャンル別ランキングで1位になることも少なくない。最近ではブログで用いている独特なキャラクターをLINEで販売したりと、既存の美容師の一般的なイメージをことごとく覆す。それは天賦の才かそれとも努力の賜物か。足立の過去、現在、未来からその才能の源を探り出す。(敬称略)
地味なシュート練習が好きだった、少年時代
あまり記憶にないという、故郷の大分県での幼少期。生まれは高知県、育ちは大分県の豊後大野市。姉と妹に挟まれ、特に何もない田舎で育った。 「何でもかんでもモノを分解してしまう子供でしたね(笑)。なんでこうなってるのだろうという疑問を元に、その仕組みを知るために本当にあらゆるものを分解していました」
美容師というクリエイティブな仕事の素地は、ひょっとしたらこの時に養われたのかもしれない。地元の小学校と中学校を卒業後、足立は少し離れた街にある高校に進学する。
「高校の時は、バスケットボール部に入ってました。特別すごく身体能力があるわけではなかったのですが、シュート練習を繰り返したりとか地味にコツコツ練習することが好きでした」
人生を変えたアルバイト
部活動にのめり込んでいた高校時代に、その後の足立の人生に大きな影響を及ぼすことになる、とあるアルバイトに出会う。 「高校時代に美容室でアルバイトをはじめました。夫婦で経営しているセット面が3つぐらいの小さなサロンで、普通の田舎のサロンでした」
足立がアルバイトの休みの日にサロンに来たお客さんが、足立がいなくて寂しがる。そんな話を聞くうちに、だんだんと美容師という職業を意識し始める。
「もちろん髪を切ってはいないのですが、お客さんに指名をもらうようになりすごく嬉しくなって、その時にこの道で生きていこうと決めましたね」
高校を卒業して、福岡の美容学校へ
高校を卒業した足立は、福岡の美容学校に進学する。東京や大阪の美容学校という選択肢はなかったという。 「微妙に近いし微妙に遠いしという感じで、福岡の美容専門学校に行くことにしました。家を出たかったというのもありました。大分はすごく田舎なので、あんまり遠くに行くという頭はなかったですね。福岡で十分遠いみたいな。当時は福岡で十分でしたし、東京は遠すぎて「東京ってなに?」という感じでした」
美容学生時代は、日中は学校に行き夜はバーでアルバイト。学生時代にコツコツとシュート練習をするのが好きだっただけに、さぞかし真面目な学生生活を送ったと思いきや、そうでもなかったという。
「座って授業を受けるのが苦手で、学校に行かなくなり退学になりかけました。出席日数が足りなくて(笑)」
退学を免れ、なんとか無事に専門学校を卒業した足立は、いよいよ社会という大海原に飛び込んで行く。 美容業界誌から一般誌まで、ページをめくれば彼の名前は必ず見つけられるだろう。その名は、エザキヨシタカ。サロンワークに加え、オンラインセミナーを開催し、ファッションブランドを展開し、イベントも開催する。美容業界の救世主か、それとも稀代の傾奇者か。大胆かつ謙虚な、美容業界を席巻する若き改革者の真実に迫る。(敬称略)
若い時にすべきこと
2009年に原宿にオープンした美容室grico(グリコ)。今では、全国から働きたいという美容師や美容学生が集まってくる。十数年前には、エザキも福岡で将来を夢見る美容学生だった。そんな美容学生に対して、エザキ流のアドバイスをもらった。

「美容師は人と人が関わる仕事なので、誰かのために何かしたいという想いを強く持つといいのかなと思います。それと、夢は大きくていいと思いますが、それが自分のことだと結局誰もその人に興味を持たなくなってしまうので、誰かのために何かをしたいという気持ちを大切にしてほしいですね。好きという気持ちがあれば相手も好きになってくれますし、それがないと結局何事もうまくいかないので。
あとは、嫌なことから目を背けずに努力してほしいですね。ワインディングが苦手という人は、練習してこなかったから苦手なわけで、そこは目を背けずに努力してほしいと思います」
客単価と生涯家族

せっかくなので、これからの美容師に求められるものついても聞いてみた。
「よく客単価と言いますが、それだけだと目の前の数字との戦いになってしまいます。しかし、お客様を本当に喜ばすことができて、心で繋がることができれば、そのお客様とは生涯家族になれます。それ以上の価値が生まれます。
例えば、もしお客様が偶然にもディーラーさんだったら、一緒に製品作りましょう、セミナーやりましょうとなるかもしれない。そこで利益が生まれれば、お互いに客単価以上の価値が生まれます。幸せの共有ができます。美容師は、もっと生涯家族ということを強く意識すべきだと思います」
「家族」の幸せのために
これまでも、またこれからも走り続けるエザキの目指すところはどこなのか。
「大先輩には「終身雇用とか簡単に言うものではないよ」とご指摘を受けるのですが、会社(=家族)としては目指して行きたいなと思っています。それと、美容師が、誰から見てもかっこいいと思える職業にすることができればいいですね。」

gricoのスタッフをはじめ、お客様やgricoに関わる全ての人のことを、エザキは「家族」と表現する。そんな「家族」を本当に大切にしているからこその目標である。
最後に、「エザキヨシタカにとって美容師とは?」という質問をしてみた。
「僕の全てですね。髪だけでなく、人の人生とか魂とかまで綺麗にできる職業なのかなと思います」
美容業界の改革者は今日も日本全国を忙しく飛び回り、どこまでも謙虚に、そしてどこまでも誠実に仕事と向き合っている。彼の愛する「家族」のために。
完

美容業界誌から一般誌まで、ページをめくれば彼の名前は必ず見つけられるだろう。その名は、エザキヨシタカ。サロンワークに加え、オンラインセミナーを開催し、ファッションブランドを展開し、イベントも開催する。美容業界の救世主か、それとも稀代の傾奇者か。大胆かつ謙虚な、美容業界を席巻する若き改革者の真実に迫る。(敬称略)
gricoの始まり
福岡にある大村美容専門学校を卒業してついに東京に出てきたエザキは、大手美容室に入社する。そこでスタイリストになり、その後フリーの美容師を経てついに美容室grico(グリコ)を原宿にオープンさせる。2009年の夏である。
その時エザキは24歳。しかし、決して順風満帆なスタートではなかった。

「2009年の8月1日オープンに向けて7月1日から内装準備を始めたのですが、7月24日にあるトラブルが発生してすごく大変でした。ある意味、gricoは1週間で作ったと言えますね」
オープン直前のトラブルにもかかわらず、なんとかオープンにこぎつけた。その後の快進撃はご存知の通りである。そこからエザキは全力疾走で走り続ける。そのスピードは他の追随を許さない。
全ては周りを幸せにするために
ヘアサロン「air(エアー)」の木村直人氏と共同で始めた会員制コミュニケーションサロン「Multiverse(マルチバース)」、サロン内でのファッションブランド「grico clothing」の展開、毎週最終金曜日にサロンのお客様を集めて開催するイベント「LAST FRIDAY」等、その活動は多岐にわたるが、全てはお客様、美容師・美容業界、スタッフのため。そこはブレない。

「オンラインサロンの「Multiverse」が目指しているのは、志の高い美容師が集い、美容師の地位やサロンの価値を上げ、美容業界の未来を明るくすることです。また、「grico clothing」は、お客さまとスタッフを幸せにするための材料を、少しでも多くしたいと思ったから始めました。髪を切ること以外で、美容師の職域をもっと広げられたら素敵だなと。
毎週最終金曜日に開催している「LAST FRIDAY」は、アパレルアーティストやクリエイターの方々とコラボレーションして、原宿というエリアをもっと盛り上げたいという想いからスタートした交流イベントです」

一見、やっていることはそれぞれバラバラに見えるかもしれないが、そうではない。全ての軸は共通している。お客様、スタッフ、そして美容業界のため。周囲を幸せにするために何ができるかを、絶えず考え行動しているのだ。
エザキ流SNSとの付き合い方
今はまさに空前のSNSブーム。SNSをうまく利用しているという人もいれば、SNSにはついていけない、苦手だという人も多いかと思う。エザキのSNSに対する考えはいたってシンプルだ。

「もちろん、今の時代としてはやらなくてはいけないと思います。しかし、上辺だけの嘘は書かない方がいいと思いますね。薄っぺらいところで何かやるのはダメです。例えばSNSがない時代、電話や雑誌がない時代は、「技術」「人間性」「空間」でお客様を満足させていたと思います。
でも今は、「技術」はあるとしても「空間」「人間性」をおざなりにしてSNSを頑張っている人が多いような気がします。もっと本質的なところに近づいて発信ができたら、一番効果的にSNSが使えるようになるのかなと思います」
テクニック的なアドバイスを期待していた読者にとっては、さぞかし驚かれたかもしれない。そう、エザキの考えは極めてシンプル。しかし、核心をついている。
美容業界誌から一般誌まで、ページをめくれば彼の名前は必ず見つけられるだろう。その名は、エザキヨシタカ。サロンワークに加え、オンラインセミナーを開催し、ファッションブランドを展開し、イベントも開催する。美容業界の救世主か、それとも稀代の傾奇者か。大胆かつ謙虚な、美容業界を席巻する若き改革者の真実に迫る。(敬称略)
周りに助けられた少年時代
生まれは長崎県長崎市。母子家庭で育ったエザキには、上に一つ違いの兄がいる。父親はいなかったが、周りの人たちが父親代わりとなり、色々とサポートしてくれた。

「小学生時代は委員長というか、リーダー的な役割を担う感じの子供だったのですが、中学生になるとなぜか急にやる気がなくなってしまいました。それで、中2までほとんど勉強していなかったのですが、兄が親に迷惑かけまいと受験で頑張って県内有数の進学校に合格したのです。
それで、自分もやらなければと思い、一念発起して中2から猛勉強を始めてなんとか同じ高校に合格しました。私立はお金がかかりますし、母親に金銭面の負担をかけるわけにもいきませんでしたからね」
人生を決めた体験入学

高校に入学したエザキだが、勉強中心の毎日に嫌気がさして、高校生活に馴染めなくなってくる。
「中学の同級生とは話が合うのですが、高校の同級生となるとみんな真面目だし、しかも勉強合宿があったりなんかして大変でした」
そんな毎日を過ごしているうちに、周りは大学受験ムードになる。しかし、当時のエザキには大学に進学するという考えはなかった。美容専門学校の体験入学で行ったワインディングが楽しくて、美容師になろうと思っていたのだ。
「長崎の美容専門学校でワインディングの体験をさせてもらったのですが、それがすごく楽しくて。その時に、好きなことを仕事にしたいと思いました」

美容師になろうと決めたエザキだが、そのための美容専門学校を探すことに苦労をすることになる。
「当時、僕の高校はほとんどが大学に進学するのが普通だったので、専門学校の情報を学校ではあまり教えてくれませんでした。当時は今と異なり、インターネットを使用するのもお金がかかる時代でしたから、本屋さんに行って美容専門学校を調べて自分で資料請求とかしていましたね」
福岡の美容専門学校で日本一を目指す
母親の負担を少しでも減らすため、アルバイト禁止の高校にもかかわらず先生に頭を下げ、特別にアルバイトを認めてもらった。そんな心優しい先生と一緒に過ごした高校生活も、やがて卒業とともに終わりを迎え、エザキは福岡にある大村美容専門学校に入学する。
「大村に決めた理由は、ヴィダルサスーンでも賞を取っていたという点が大きかったです。どうせ美容師になるなら、日本一の美容師になろうと決めていましたし、そのためには日本一の学校に行くしかないと思って決めました。そもそも、東京や大阪の学校に行くお金もなかったですし」

大村美容専門学校に入学したエザキは、友達と一緒にアパートを借りて、遅刻もせずに毎日真面目に授業に出席する。
「授業は本当に真面目に出ていましたね。あと、誰とでも仲良くなれる性格からか、リーダーを任されたりしていました。授業の後は、ピザ屋でアルバイトもしていました」
絵に描いたような真面目な学生生活を送っていたエザキだが、ついに美容学校を卒業して、社会という大空へ羽ばたく日がやってくる。いよいよ、東京という未知なる街に足を踏み入れる瞬間がやってきたのだ。
続く