IKUMA〜ヘアドレッサーであり続けるために Vol.3〜
運命の出会い
日本に帰る直前、偶然にも以前日本で勤めていた美容室の店長から、一緒に働かないかと誘いを受けた。
「日本に帰り、誘いを受けて東京の代々木の美容室に1年ぐらい勤務していました。そして、27歳の時に渋谷のTSUTAYAで、以前同じお店で働いていた現greenオーナーのHIROMIと偶然会いました。そこから色々と話をしたりするうちに、一緒に働きたいと思い入社しました。入社した時はまだgreenがオープンして間もない頃でしたが、こんなに新規が来るお店があるんだと衝撃を受けたのを覚えています」
IKUMAがgreenに合流してから11年が経つ。現在は海外の店舗も含めたgreen全体10店舗の統括マネージャーとして、その辣腕を振るっている。持ち前の行動力と器用さで何でもこなしてきたIKUMAだが、全てが順風満帆だった訳ではない。当然のごとく、挫折も味わった。
「美容学生時代から、自分は割と何でも器用に出来てしまうタイプでした。周りを見ていて、「何でこんなことが出来ないのだろう」と思っていたぐらいですから。
そんな余裕も、最初に入社した有名美容室で粉々に打ち砕かれた。
挫折を乗り越える方法
「最初に入った美容室の同期の仲間を見て、本当に驚きました。その美容室はかなり有名だったので、全国から腕に自信がある猛者が大集結して、まるで甲子園のような感じでした(笑)。そこで初めて、自分にも出来ないことがあるんだと挫折しましたね。それと、その美容室の先輩方を見て、こんな器用な人たちが世の中にいるのかとビックリしました」
では、どのように挫折を乗り越えたのだろうか?
「やはり、練習ですよね。その時の先輩方を見て、「こんなに練習しているんだ!」と驚きました。自分も学校でそれなりに練習していたのですが、そんなレベルの話ではなく、それこそ皆さん夜中まで寝ずに練習して、その後に備品の発注をして、朝の5時や6時から撮影が始まる、というような感じでした」
自分より上手い先輩たちが死に物狂いで練習してるその姿を見て、感化されないはずがない。
「やはり、先輩方のそのような姿を見ていたので、やるしかなかったですね。平日は朝から撮影、営業、練習、発注のルーティンで、休日は講習に行く。怒涛の毎日を乗り切るのに必死で、ある意味どうやって挫折を乗り越えようかと考える暇もなかったですね。結果的に、その中で徐々に色々な事が出来るようになっていき、自分にも自信が付いたという感じです」
現在の美容業界とこれからの自分
ずっと美容業界の最前線にいるからこそ、美容業界の移り変わりを肌で感じる。
「今の美容業界に関して思うのは、昔に比べて環境が整っているところとそうでないところの差が激しくなっているということです。昔は独立しないと美容師としてやっていけないという感じでした。しかし、現在では弊社もそうですが、生涯雇用も可能なシステムを作り始めている美容室も多いと思います」
そして、時代が一周して、自分たちがこれまでやっていたスタイルがまた戻ってきていると感じている。
「最近表参道では昔自分やHIROMIもやっていたような懐かしい光景、先輩後輩で朝方まで飲みながら美容を語っている若い美容師さん達がとても増えた様に思います。凄くいいですよね(笑)。SNSなどの個人の発信力の重要性は絶対ですが、サロンワークでは個人だけでの力って限界があると思うんです。こういう根性系の若い美容師さんが増えてくるのも必然かなって思いますね」
greenはとどまることなく進化して行く。統括マネージャーとしての責任は重大だが、IKUMAの行動力からすればきっとやり遂げるだろう。
「統括マネージャーとして意識していることは、スタッフを平等に見るということですね。やはり、下の子たちは「見てもらいたい」という意識がすごく強いと思いますし、表立って頑張っていることをアピールできる子と、それが出来ないけれど頑張っている子も、平等に評価しなければならないと思っていますので」
greenは今年で13年目を迎える。
「最初は7人いるかいないかの小さなお店でした。それが現在では10店舗、スタッフも10倍以上まで増えました。 その当時できなかった結婚手当・産休・育休制度・賞与なども整備でき、更には近い将来「退職金制度」も整備したいと思っています。 スタッフ同士が家族と思い、みんなが安心して美容に集中できる環境づくりの為にグループ全体を大きくしたい。それが僕のビジョンです」
不安や挫折があったとしても、一生懸命頑張れば道は開ける。極めてシンプルな真理であるが、IKUMAを見ているとそう考えずにはいられない。
完
green表参道を筆頭に、海外を含め10店舗の美容室を展開するグループの統括マネージャーを任されているIKUMA。常に自分と向き合い、自分の気持ちに正直に生きてきたIKUMAが語る、これまでとこれから。(敬称略)
諦めきれなかった夢
美容学校を卒業して念願のサロンに就職したにもかかわらず、入社初日に寝坊をして遅刻をしてしまったIKUMA。波乱万丈の美容師ライフがついに始まった。
「遅刻をしたおかげで、毎朝ドブ掃除のようなことをさせられました(笑)。周りからは、「あいつはすぐ店を辞める」と言われていましたが、ずっと続けました。当時は毎日のように撮影に同行したり、休日は先輩方が地方でセミナーや講習の講師をする際にアシスタントとして同行していたので、休みなく働いていましたね」
そんな休みなく働き続けたIKUMAだったが、スタイリストになる直前にそのサロンを退社した。
「小学生くらいからずっと思い描いていた、「海外に行きたい」という夢を諦めきれませんでした。ただ、美容は日本でやろうと決めていたので、期間を決めて海外に行こうと考えていました」
行こうと思った場所はニューヨーク。しかし、ニューヨークに行くにも資金が足りない・・・。コールセンターでアルバイトをしたりしながら、ニューヨーク行きの資金を貯めた。
「当時、ニューヨークに行くなら100万円は持って行くべきと言われていたのですが、結局40万円を持って行きました」
理想と現実の狭間で
持ち前の行動力を発揮して、何のツテもなく単身ニューヨークに渡った。
「海外には美容師の資格は無いと思っていたので、とりあえず行ったら働けるのではないかと本気で思っていました。家も決めないで行ったので、ユースホステルに寝泊まりしながら、自分で履歴書を書いて美容室をまわっていましたね」
自分の足で美容室を探したが、就労ビザがなかったので結局は働けなかった。
「それでも、ニューヨークの空気感などを肌で直接感じることができたので、非常に有意義な時間でした。英語も完璧に出来たわけではないので、電子辞書を隣に置いて話していましたね」
捨てる神あれば拾う神あり。ニューヨークで知り合った人間から、「英語は一緒なんだからカナダに行ったほうがいいよ」とカナダに行くことを勧められる。
「それを聞いて、すぐに大使館に行ってビザを取り、ワーキングホリデーを利用してすぐにカナダに行きました。カナダに行ってからは、ニューヨークと同じようにまた履歴書を持って美容室を何件も訪ねて、ということをしていました」
たどり着いたカナダ
I苦労の末、ついにカナダで働くチャンスを手に入れた。
「カナダで知り合いに誘われてとあるパーティーに参加したのですが、その中に美容室のオーナーがいて、「ウチで働かないか?」と誘ってもらいました」
ついに、カナダのトロントでスタイリストになった。
「実際に働くと、やはり英語が完璧ではなかったので、お客様と意思疎通が取れなくてカラーを間違えてしまったり、というミスはありました。しかし、周囲のサポートのお陰で何とかやっていけましたね」
休みの日にはカナダを思う存分満喫した。
「その当時はボリビア人と一緒に住んでいたのですが、休みの日にレンタカーを借りてニューヨークまで行ったりとかしましたね。彼のナビが下手すぎて、通常は1日で行けるところを4日かかったりとかしました(笑)。でも、すごく楽しかったですね」
単身海外に渡って1年半が経過した頃、IKUMAは日本に帰ることを決意する。
「海外に行ったのは、単純に子供の頃からの憧れだけでした。ですので、自分の中では海外にいるのは最初から2年以内と決めていました。美容をやるなら絶対に日本でと思っていたので」
日本に帰ることを決めたIKUMAだが、その日本で現在につながる運命的な出会いが待っていた・・・。 green表参道を筆頭に、海外を含め10店舗の美容室を展開するグループの統括マネージャーを任されているIKUMA。常に自分と向き合い、自分の気持ちに正直に生きてきたIKUMAが語る、これまでとこれから。(敬称略)
きっかけはバミューダトライアングル
埼玉県の所沢市で、男ばかりの三人兄弟の末っ子として生まれた。地元の公立の小学校、中学校に通っていたが、高校は東京の渋谷だった。しかも、ロシア語科だった。 「小学3年生の時に「魔のバミューダトライアングル」という本を読んで感想文を書きました。そして、世界は面白いなと思っていた時に、父が海外の情報をたくさん教えてくれて、さらに中学生になった時にオリンピックでロシア人の通訳が足りていないというニュースがありました。そのニュースを聞いた時に、これからはロシア語で飯を食っていけるのではないかと思い、ロシア語科がある高校を探しました」
なんとも不思議な中学生だが、その実行力は中学生離れしている。そして、埼玉の所沢から渋谷の高校に毎日通う生活が始まる。
「その高校には校庭がなかったため、部活もありませんでした。語学にはまっていたので、当時はロシア語が話せましたし、ロシアに留学もしました。後は、渋谷に学校があったということもあり、毎日渋谷で遊んでいましたね。友達とイベントを開催したりして、楽しく過ごしていました」
自己分析の結果、美容師に
語学に熱中していたIKUMAだが、なぜ美容専門学校に行くことを選んだのだろうか。 「建築士の父の影響で昔から建築に興味があったので、大学に進もうと思っていました。しかし、高校時代に外国の先生に自己分析の大切さを教わり、新宿の紀伊国屋書店で自己分析の本を自分で買ってきました。その本は英語で書かれていたので、辞書を片手に読み進んで行くと、自分にはサービス業やものづくりの仕事が合っているという分析結果が出たのです。その中に、たまたま「ヘアドレッサー」というキーワードがあり、美容師になろうと思いました」 自己分析の本に従い、IKUMAは山野美容専門学校に進学する。
「美容学生時代はかなり真面目でしたね。最初は美容にそこまで興味がなかったのですが、いざ入学して授業を受けると我ながらこれは得意だなと思いました。ほとんど美容オタクのような感じでした(笑)」
初めはそこまで興味がなかった美容の世界だが、学校の授業が簡単に思えるほどIKUMAは器用であったため、学校が面白くなっていった。
「この容姿からは考えられないくらい、その当時は優等生でした。「なんでこんな簡単なこともできないのだろう」と、周りの友人を見て思ってしまう感じでしたね」
伝説の始まり
学校に真面目に通いつつ、新宿でバーテンのアルバイトをしながら、2年間の学校生活も終わりを迎える。 「当時は美容ブームの最後くらいでした。テレビでシザーズリーグを見て、そこで初めて美容に興味が出てきて、こういうサロンで働いてみたいと思いました」 どうしても行きたいサロンがあり、IKUMAはそのサロンの入社試験を受けた。他のサロンはどこも受けなかった。そして、100倍近い倍率を見事クリアして、無事にそのサロンに合格した。 「これは後から先輩に聞いた話ですが、入社試験で集団面接があり、チームを作ってある課題を与えられるのですが、そこでリーダーになると受からないのが普通だったらしいのです。しかし、僕はまとめるのが得意なのでリーダー役をしたところ、それがうまくはまって受かったみたいです」
希望のサロンの入社試験に無事に合格したIKUMAだが、入社初日から前代未聞の伝説を作る。
「入社初日に、思いっきり遅刻しました。前の日に緊張していて寝れなくて、そのまま寝落ちしてしまい、朝礼が終わるギリギリくらいに職場に着きました。それから3ヶ月間、毎朝6時から1時間半、店の周りの排水管を掃除をするという日々から僕の美容師ライフが始まりました(笑)」
まさに波乱万丈の美容師人生の幕開けだが、これはまだほんの序章に過ぎなかったのである。
続く
「高木裕介」という名前を聞いて、美容業界の人間ならば知らないものはいないだろう。タレント、モデル、メジャーリーガー等を顧客に抱え、ファッション誌、テレビCMのヘア&メイクも手がける。同時に、U-REALMグループのCEOとして組織を牽引し続けている。そんな稀代のカリスマ、高木裕介は今何を考え、どこに向かおうとしているのか?業界トップリーダーの過去・現在・未来からその秘密を紐解いていく。(敬称略)各世代に伝えたいこと
美容業界を牽引し続ける高木だからこそ、彼の具体的なアドバイスを聞きたいという読者も多いと思う。そこで、各世代別に対するアドバイスを聞いてみた。
「美容学生だったら、SNSのフォロワーがどうしたら増えるのかをよく考えて、友達を増やして、よく遊んで欲しいですね。アシスタントは、今は休みも多いし自由な時間が多いのでもっと練習をして欲しいですね。今は僕らの時より休みが月に4日くらい多いと思いますが、その時間を遊ぶのと練習するのとでは、年間で換算すると何十時間と差がついてしまいます。
スタイリストに関していうと、30歳過ぎのスタイリストは時代に上手く対応して行かないと、今の20代のスタイリストにすぐにやられてしまうと思います。SNSに弱いとか言っている場合ではないですね」
20代のスタイリストはカットの技術が大切
20代のスタイリストが最も重視すべき点は、カットの技術であると高木は言う。 「他の店のことはあまり分かりませんが、20代のスタイリストはカットに集中している人が少ないですね。今は薬剤の質が良くなっていて、ヘアケアの時代です。カラーが上手いと売れてしまいます。しかし、そこでおさえたお客様も必ず歳をとり、40歳を超えてくると髪に色々な悩みが出て来ます。その時に大切なのが実はカットなのです」
どれだけ薬剤の質が向上しようとも、カットの重要性は変わらない。
「スタイリストの年齢とお客様の年齢はおよそ比例します。たとえば、25歳のスタイリストなら、25歳前後のお客様が多いと思います。そして、そのスタイリストが40歳になった時に新規のお客様を取るのは困難なので、25歳の時のお客様を40歳まで繋ぎ止めておく必要が出てきます。その時に、お客様の髪の難しさのレベルも上がるのです。先ほど言ったように、40歳を超えると髪の悩みが色々と出て来ますから」
まさに高木ならではの、核心をついたアドバイスである。20代のスタイリストは是非参考にしてほしい。
「大人の女性からよく聞くセリフがあります。「あの人にずっと切ってもらっていたけど、実はあまり上手くなかった、気付かなかった」というものです。カット料金を上げることができるスタイリストなのか、失客してしまうスタイリストなのかの分かれ目は、ヘアケアでもカラーリングでもなんでもなくて、カットの技術だと思います。これは、僕も若い頃は気付きませんでしたが、早めに気付いて対応したほうがいいと思います」
業界を変革するために
常に全力疾走で美容業界の中心を走り続けてきたからこそ、現状の美容業界に対する憂いと想いは誰よりも熱い。 「不動産やITだったり、業界によっては日本は盛り上がっていますが、美容業界は違います。昔ながらの伝統的な美容室をやっていて稼げている人がいないということは、何か問題があるということだと思います。料金体系なのか雇用体系なのか、何なのか分からないですが・・・。それを僕は変えていきたいですね」
様々な美容室からなる東京ブレンドを設立したのも、発言権を得て業界全体を変革するため。この業界を良くしたい。その想いと実行力は誰にも負けない。
「美容業界を全方位から底上げしていきたいと思います。業界が変わるきっかけが作れれば、僕がいた意味があるのかなと思いますね」
彼なら、他の業界で生きていたとしても必ず成功していたに違いない。高木裕介の今後からますます目が離せない。
完
「高木裕介」という名前を聞いて、美容業界の人間ならば知らないものはいないだろう。タレント、モデル、メジャーリーガー等を顧客に抱え、ファッション誌、テレビCMのヘア&メイクも手がける。同時に、U-REALMグループのCEOとして組織を牽引し続けている。そんな稀代のカリスマ、高木裕介は今何を考え、どこに向かおうとしているのか?業界トップリーダーの過去・現在・未来からその秘密を紐解いていく。(敬称略)新たな出会い
人気サロンのSHIMAで働く切符を手に入れた高木だが、1年間で退職した。 「当時は自分がチャランポランだったので、ついて行くことができませんでしたね」 その後に、別の店舗で充実した美容師ライフを送っていた高木だが、当時のカリスマ美容師ブームが彼の心を刺激した。 「その頃にちょうどカリスマ美容師ブームがあり、どうやらすごく稼ぐ人たちがいるらしいと聞いて、そのようになりたいと思いました。そして、色々と考えた結果、宮村さんについて行くことにしました」
熟考の結果、宮村浩気氏が立ち上げたアフロートのオープニングスタッフとして参加した。
「当時は、がむしゃらに売れることしか考えていませんでしたね。余計なことは何も考えていませんでした。給料がどうとか、休みがどうとかは考えたこともなかったです」
寝る間も惜しんで働き続きた高木だが、ついに独立を決意してアフロートを円満退社する。
「宮村さんとは今でも一緒にヘアショーのステージに立たせてもらったり、一緒に旅行に行かせてもらったりしています。今の自分があるのも宮村さんのお陰だと思っていますので、本当に感謝しています」
U-REALMの立ち上げ
アフロートを退社した高木は、U-REALMを立ち上げた。 「立ち上げ当初はすごく順調でしたが、当時はどんぶり勘定で自分も子供でしたので、だんだん業績が悪化してきました。同時に、自分もヘアメイクの仕事が増えて店を見れなくなって、色々と問題が起きてスタッフが辞めていってしまいました。あの時の自分を今になって思うと、自分のキャリアしか考えていなかったですね。自分がキャリアアップして有名になってとか、そういうことばかり考えていました」
その結果、スタッフがどんどん退社していくという事態が発生する。
「ヘアメイクの売り上げは凄かったのですが、それだけ働いても利益が出ないという、そんな状況でした。そこで、店を立て直すためにヘアメイクをやめました。ヘアメイクやめるという覚悟を決めた時に、自分のキャリアはもういいなと思いました。これからは経営者になろうと」
経営者として
高木が経営に没頭してからのU-REALMの快進撃はご覧の通りである。 「今は、スタッフの給料を上げられたり、休みを増やせたり、旅行に行かせられたり、決算賞与を出せたりする瞬間にやりがいを感じます。やはり自分は経営者なので・・・。 美容室が儲からないとか、美容師の給料が少ないというのは経営者の問題だと思っています。経営者がデザイナーを気取ってしまうと儲かる商売にはなりません。経営者は経営者です。経営者がデザインに没頭しすぎると、経営はうまく行かなくなりますね」
美容業界の今後を誰よりも案ずる高木だからこそ、美容業界の悪しき伝統を変えたいという気持ちは誰よりも強い。
「オーナーが潤わないと幹部も潤わないですし、幹部が潤わないととスタイリストも潤わないですから。今までの美容業界はオーナーしか儲からない世界でしたが、それを打開しない限り発展はないと思います」
Vol.3に続く
「高木裕介」という名前を聞いて、美容業界の人間ならば知らないものはいないだろう。タレント、モデル、メジャーリーガー等を顧客に抱え、ファッション誌、テレビCMのヘア&メイクも手がける。同時に、U-REALMグループのCEOとして組織を牽引し続けている。そんな稀代のカリスマ、高木裕介は今何を考え、どこに向かおうとしているのか?業界トップリーダーの過去・現在・未来からその秘密を紐解いていく。(敬称略)
きっかけは「なんとなく・・・」
高木は1977年8月15日に、3人兄弟の末っ子として北海道で生まれた。
「おかげさまで両親は健在で、兄が二人います。父親は、北海道開発建設局(※国土交通省の地方支分部局)で働いていました」
北海道で生まれ育った高木は、地元北海道の小学校、そして中学校に進学する。
「その頃は真剣にサッカーをやっていて、ポジションはミッドフィルダーでした。高校に進学した後もサッカーを続けていたのですが、あまりチームも強くなくて、だんだんと身に入らなくなってきました。ちょうどファッションや遊びにも興味が出てきた時だったので・・・」

そして、高校2年の時に美容師になろうと決意する。
「理由は、なんとなくですよね。今みたいに美容師がファッショナブルであるとか、そういうものではなかったので。大学行かないなら、職業はこれとこれとこれしかないよね、みたいな感じでした。今みたいに「夢を持って」みたいなのはなかったですし、有名な美容師さんは誰も知りませんでした」
北海道から東京へ
なんとなく美容師を志した高木は、高校卒業後に東京にある山野美容専門学校に入学する。
「最初は札幌の学校でいいかなと思っていたのですが、「勉強するなら東京に行け」と周りの大人に言われて東京の学校に行きました。周りの大人がお膳立てしてくれましたね」

周囲の大人のサポートもあり、生まれ故郷の北海道を離れて、東京での新しい生活がスタートした。
「当時は風呂なしでトイレが共同の、寮みたいなところに住んでいました。学生時代はバイクのチームを作ったり、渋谷に行ったりとよく遊んでいましたね(笑)。もちろん、学校は真面目に通っていました」
大人気サロンへの就職
当時の専門学校は1年制。秋には就職先を決める必要があった。
「一番流行っていると言われて、SHIMAに入りたいと思いました。昔から、一番流行っているとか、一番凄いであるとか、そういうナンバーワンのお店に入りたいという気持ちはあったので・・・。それからは、SHIMAに入るためにはどういう服装をしたらよいのか等、色々と研究しました。1000人以上の応募があり、25名ぐらいしか受からなかったと思います」

努力の結果、凄まじい倍率の中を突破して高木はSHIMAに入社した。
「今でもやっていることは同じですよね。頭を使って、どうしたら相手が求めているものに応えられるのかを考えるということです」
なんとなく美容師になろうと東京に出て来て1年、誰もが羨む人気サロンに就職が決まった。ついに激動の美容師人生の幕が開けた瞬間だった。
Vol.2に続く
表参道にある美容室Gratiiの統括ディレクター・足立孝史。素人にも分かり易い解説と直筆のイラストが加わった彼のブログは、読者から絶大な人気を誇り、アメブロのジャンル別ランキングで1位になることも少なくない。最近ではブログで用いている独特なキャラクターをLINEで販売したりと、既存の美容師の一般的なイメージをことごとく覆す。それは天賦の才かそれとも努力の賜物か。足立の過去、現在、未来からその才能の源を探り出す。(敬称略)Gratiiの統括ディレクターに
運営をグループに任せるようになった足立だが、結婚を境に意外な転機が訪れる。 「今はどうか分かりませんか、所属していた親会社は家族の時間を作るのが難しい環境にありました。有名になりたいと思う気持ちが大きい人にはすごくいい環境だったと思うのですが、結婚をして家庭を省みる必要が出てきた自分にとってはかなり厳しい環境でした。 仕事に対するスタンスって歳を重ねるごとに変わってくると思いますが、当時はその過渡期でしたね」
そんな仕事に対するスタンスを変えようと思っていた矢先、事態は急変する。かねてより旧知の仲であった大更(現Gratii代表)から、自分が今度オープン予定の美容室で一緒に働かないかと声をかけられたのだ。
そして、ついに大更とともに働くことを決意する。
「会社を回すということよりも、お客様を大事にするということに目を向けられる環境があったことが、合流した理由です。今の自分に合っていたということですね」
足立流SNSとの付き合い方
今がとても充実しているという足立。LINEスタンプを販売しているのもその証拠かもしれない。ちなみに、LINEスタンプを作って販売しているのは完全に自己満足とのこと。
また、足立といえばアメブロのジャンル別ランキングで1位になることも少なくないブログが有名だ、
「アメブロをやり始めた経緯は、お客様に自分のことを知ってほしいからですね」
足立のブログは、いわゆる美容のプロではない素人に対して分かりやすく髪のメカニズム等について解説している。プロ向けではない。だから、誰が読んでも理解できる。お客様の目線で考えたときに必要な情報が大量に入っている。
もしまだ読んだことがない読者の方は、ぜひ一度読んでほしい。これほど論理的に分かりやすく解説してくれるブログは唯一無二と言えるだろう。
そんな足立だからこそ、最近では避けては通れないSNSに対しての意見も聞いてみた。
「今の時代、SNSは必須ですよね。僕らの時代は、まず技術があり、次にカメラが進化したため撮影を覚える必要が出てきて、また次にブログが流行したためにブログを覚えてというように、順番に覚えればよかったのです。
しかし、今の時代はその全てが既にそろっているので、若い子たちは同時に覚える必要がある。だから最近の若い子は本当に大変だと思いますよね」
ずっと美容師でいたい
これから美容師に求められるスキルとして、足立は「自己プロデュース」が必要だと主張する。 「それしかないと思います。技術が下手でも、自分自身を外に上手に見せる方法がないと何の意味もないですよね。今までは、いかにカットに再現性があるかとか、いかに良い接客ができるかが大切でした。もちろん、これらは今でも大切です。 しかし、今は外に対して情報発信ができないとお客様がまず来ないですね。昔と違って、今は雑誌に掲載されたからといってお客様は来ないですから。各個人がそれぞれ情報発信してお客様を呼ぶ必要があります」
今後の目標を聞いてみると、足立らしい答えが帰ってきた。
「これから、自分のお客様の年齢層的にも表参道に来ることが困難になってくると思います。それをどうケアしていくのかが課題ですね。来たいけど来れなくなってしまったお客様に対して何ができるのかというのを考えています。
有名になりたい、お店を大きくしたいということよりも、よりお客様と密になった関係性を作っていきたいと思っています。ただお客様といい関係になりたいですね」
最後に、「美容師とは?」という質問をしてみた。
「美容師は、その人をより輝かせるためのお手伝いをする人だと思っています。僕はヘアメイクアーティストではなくて美容師です。これは僕の考えですが、ヘアメイクアーティストはその場でその人を綺麗にしますが、美容師はあくまでお客様が自宅等で自分でやった時に綺麗になるようにすることが仕事です。僕はずっと美容師でいたいと思っています」
目の前のお客様をいかに輝かせ、その望みを叶えるか。それのみを一心不乱に探求するその姿勢は、まるで現代の侍といっても差し支えない。そんな表参道の侍から、今後も目が離せない。
完
表参道にある美容室Gratiiの統括ディレクター・足立孝史。素人にも分かり易い解説と直筆のイラストが加わった彼のブログは、読者から絶大な人気を誇り、アメブロのジャンル別ランキングで1位になることも少なくない。最近ではブログで用いている独特なキャラクターをLINEで販売したりと、既存の美容師の一般的なイメージをことごとく覆す。それは天賦の才かそれとも努力の賜物か。足立の過去、現在、未来からその才能の源を探り出す。(敬称略)
理想と現実の狭間で過ごした大阪時代
退学の危機にありながらもなんとか福岡の美容学校を卒業した足立は、大阪のサロンに就職する。 「本当は東京のサロンに行きたかったんです。雑誌の仕事とかやりたかったので。でも落ちてしまったんです。そんな時に、大阪の有名なサロンを学校の先生に勧められて入社しました」
大いなる期待を胸に入社した大阪のサロン。しかし、いざ入社してみると自分のイメージとは異なっていた。
「若い時って、今っぽいのをやりたいとかいうのがあると思うんですけど、そのサロンはおばあちゃんのお客様が多かったですね」
普通なら自分のやりたいことができないこの状況に焦るはずだが、足立は違った。
「そのサロンは、技術的にも昔ながらの〜みたいなところがあったのですが、考え方によってはきちっとした技術があったサロンなので、技術の習得を優先して働きました」
その結果、足立は3年で確かな技術を身につけたスタイリストになった。
満を持して東京に
技術の習得のためにそのサロンに籍を置いていたが、その技術はもう身につけた。これからはスタイリストとして東京で活躍したいという思いを胸に、足立はついに東京に行く。 「東京に出てきたときは、友達の家に滑り込んで4人くらいで住んでいました。仕事も何も決まってないのに東京に出てきましたね。そこから仕事を探してました。もう直接お店に電話しましたね」
東京では、いわゆる1000円カットのお店でも働いた。同じ美容室なのに何が違うのかを自分で実感したかったからだ。
「いろんな美容の形を見たいと思いました。同じ髪を切る仕事の1000円カットですが、何が違うのかをこの目で見たかったんです」
貪欲に新しい世界を見て、良いところを吸収して行く。1000円カットのビジネスモデルを学んだ後、足立は当時まだ斬新だったトータルビューティーを売りにしたサロンに就職する。新しい業態に興味を持ったからだ。
人生最大の挫折
トータルビューティーを売りにしたそのサロンは、今まで足立が経験したことのないほど大きなサロンであり、そこで初めて挫折を味わうことになる。 「なかなか認めてもらえなくて悔しかったですよね。技術的なこともそうなのですが、全てですよね」 それでも諦めずに働き続けた結果、足立はグループ傘下の美容室の代表に上りつめる。しかし、経営が苦しい時期が続き、グループに吸収すれるという残念な結果になった。最大の原因は人員不足。もともと最初から足りない人員でお店の売上を上げなければならないという相反する状況では、いくら足立でもどうすることもできなかった。
「会社からは君のせいではないと言われましたが、最初から人員不足が分かって進めていくのはなかなか大変でしたし、すごく落ち込みました。経営に向いてないんだなって思いましたね、今も思っていますが・・・。
例えば、売上の上がらないスタッフがいた時に、経営者として最終的に厳しい判断ができるかと言われたら僕にはできないですね」
人にはタイプがある。足立は経営者のタイプではなかったのだ。根っからの美容師なのだ。
いつまでも落ち込んでばかりはいられない。捨てる神あれば拾う神あり。そんな足立の心中を察するかのように、結婚を機に事態は好転して行く。 表参道にある美容室Gratiiの統括ディレクター・足立孝史。素人にも分かり易い解説と直筆のイラストが加わった彼のブログは、読者から絶大な人気を誇り、アメブロのジャンル別ランキングで1位になることも少なくない。最近ではブログで用いている独特なキャラクターをLINEで販売したりと、既存の美容師の一般的なイメージをことごとく覆す。それは天賦の才かそれとも努力の賜物か。足立の過去、現在、未来からその才能の源を探り出す。(敬称略)
地味なシュート練習が好きだった、少年時代
あまり記憶にないという、故郷の大分県での幼少期。生まれは高知県、育ちは大分県の豊後大野市。姉と妹に挟まれ、特に何もない田舎で育った。 「何でもかんでもモノを分解してしまう子供でしたね(笑)。なんでこうなってるのだろうという疑問を元に、その仕組みを知るために本当にあらゆるものを分解していました」
美容師というクリエイティブな仕事の素地は、ひょっとしたらこの時に養われたのかもしれない。地元の小学校と中学校を卒業後、足立は少し離れた街にある高校に進学する。
「高校の時は、バスケットボール部に入ってました。特別すごく身体能力があるわけではなかったのですが、シュート練習を繰り返したりとか地味にコツコツ練習することが好きでした」
人生を変えたアルバイト
部活動にのめり込んでいた高校時代に、その後の足立の人生に大きな影響を及ぼすことになる、とあるアルバイトに出会う。 「高校時代に美容室でアルバイトをはじめました。夫婦で経営しているセット面が3つぐらいの小さなサロンで、普通の田舎のサロンでした」
足立がアルバイトの休みの日にサロンに来たお客さんが、足立がいなくて寂しがる。そんな話を聞くうちに、だんだんと美容師という職業を意識し始める。
「もちろん髪を切ってはいないのですが、お客さんに指名をもらうようになりすごく嬉しくなって、その時にこの道で生きていこうと決めましたね」
高校を卒業して、福岡の美容学校へ
高校を卒業した足立は、福岡の美容学校に進学する。東京や大阪の美容学校という選択肢はなかったという。 「微妙に近いし微妙に遠いしという感じで、福岡の美容専門学校に行くことにしました。家を出たかったというのもありました。大分はすごく田舎なので、あんまり遠くに行くという頭はなかったですね。福岡で十分遠いみたいな。当時は福岡で十分でしたし、東京は遠すぎて「東京ってなに?」という感じでした」
美容学生時代は、日中は学校に行き夜はバーでアルバイト。学生時代にコツコツとシュート練習をするのが好きだっただけに、さぞかし真面目な学生生活を送ったと思いきや、そうでもなかったという。
「座って授業を受けるのが苦手で、学校に行かなくなり退学になりかけました。出席日数が足りなくて(笑)」
退学を免れ、なんとか無事に専門学校を卒業した足立は、いよいよ社会という大海原に飛び込んで行く。