鈴木杏奈 〜1ミリで人を幸せにする Vol.3〜
もはや説明不要の人気サロン「MINX」において、得意とする前髪カットを武器に顧客から絶大な指示を受けている若手美容師がいる。今注目の新進気鋭のスタイリスト「鈴木杏奈」の、過去・現在・未来に迫る。(敬称略)

スタイリストデビューして、約2年半。MINXのスタイリストランクの最上位「ディレクター」に昇格した。自分が思い描いていた通りになってきていることを実感している。
「今のところ、順調にきていると感じています。コロナでお店も2週間の自粛期間があったのですが、その後にお客様が増えて嬉しかったですね」
1万人近くのフォロワーを抱える、鈴木のインスタグラム。投稿を見たフォロワーが実際にサロンに髪を切りに来るほど、現在ではSNS上でも絶大な影響力を有している。
「最初はインスタで既に集客している他の人のページを見て、その真似をすることをずっと続けていました。ビフォーアフターが集客に繋がると聞いたのでそれを始めたら、すぐに集客につながりました。とにかく最初は真似してという感じでしたね」
成功事例の模倣から入り、自分なりに分析した。
「最初は自分のオリジナリティを捨てた方が良いと思います。とにかく自分のターゲットを絞って、私だったら前髪カットや顔まわりなのですが、そのインスタで成功している人を何人かピックアップして分析して取り入れていくべきだと思います」
鈴木も最初から今のスタイルを確立できたわけではない。
「自分の色はやっているうちに出てくるので、最初は成功事例を真似してみることが大切だと思います」
学生時代にやっておくべきこと

仕事柄、美容学生と接することも多い鈴木。美容学生のうちにやっておくべきことを教えてくれた。
「美容学生のうちに、人との繋がりを作っておいた方が良いと思います。誰でも良いので、例えば学年で友達をたくさん作るとか、ファッション科など違う科の友達を作るとか・・・。人との繋がりがあればあるほど、大人になった時に有利になると思います」
鈴木自身、学生時代の友人に何度救われたか分からない。
「それと、自分がもし学生だったら絶対にインスタやっていますね。今は美容学生でも3〜4万人のフォロワーがいる子もいますし、美容師になって1年目でまだアシスタントなのに、セミナーをやっている人もいます」
SNSのお陰で、これまでは不可能とされてきたことが可能となった。これを使わない手はない。
「インスタだけじゃなくて、YouTubeやTikTokなど何でもいいと思うのですが、何かひとつ強いSNSがあると良いと思います。SNSは非常に大切だと思いますね」
未来

大きな夢があってここまで辿り着いたわけでもなく、大きな夢を全員が最初から持つ必要もないと鈴木は考えている。
「私には高校生の弟がいるのですが、夢がないことに悩んで落ち込むことがあるようです。私が美容師で自立していて、妹は社交ダンスのアマチュアトップで活躍しているので、余計にそう感じてしまうのかもしれません。このような悩みは、美容学生やお客様からもよく聞きます」
鈴木の経歴から、一見すると常に大きな目標を立てて、それを実現するべく努力を重ねるタイプかと思いきや、実はそうではない。
「小さな目標を決めて、少しずつ叶えてステップアップしていくと、大きな夢が見えてきたりします。大きな夢をみんなが持つ必要はないし、それは重要ではないと悩んでいる方には伝えたいですね。そこで疲弊してはいけないと思います。美容学生なら学校に休まず通うとか小さな目標を決めて、徐々にステップアップしていけば良いし、大きい夢はあってもなくてもどちらでも良いと思いますね」
高校生の時にあれほど憧れたヘアメイクアップアーティストになる夢は、いつしか消えた。今は美容師でいることが何より楽しく、そしてそれを誇りに感じている。
「美容師とは、人をすごく幸せな気持ちにできる仕事だと思います。先週、自分で前髪を1ミリくらい切ったのですが、それだけですごく嬉しい気持ちになって、外に出掛けたくなりました。普段は10分1000円で前髪カットをするのですが、これまでは「1ミリ切るだけでお客様はいいのかな?」と思い悩む瞬間が何度もありました。でもそうじゃなくて、「1ミリ切るだけでも、みんなこんな気持ちになっていたんだ!」と分かり、自分はすごくいい仕事をしているなと改めて実感しました」
専門学校時代は、ヘアの授業が一番興味なく苦手だった。それが、今ではカットが大好きになっている自分がいる。
「今はヘアメイクよりも美容師の方が楽しいですね。毎日、お客様に「ありがとうございます」と喜んでいただけるので、うれしさが日々積み重なっていく感じです。この先も、お客様にとって唯一無二の美容師でいられるように、がんばって努力していきたいと思います」
今日もまた鈴木のカットで、誰かが幸せになっている。
完
もはや説明不要の人気サロン「MINX」において、得意とする前髪カットを武器に顧客から絶大な指示を受けている若手美容師がいる。今注目の新進気鋭のスタイリスト「鈴木杏奈」の、過去・現在・未来に迫る。(敬称略)
バンタンデザイン研究所高等部

バンタンデザイン研究所高等部の入学試験に合格した鈴木だったが、1枚のハンカチをデザインするという試験にすっかり自信を喪失し、なんと入学を辞退してしまった。しかし、バンタンの先生の説得により考え直し、結果的に入学することに決めた。
「バンタンでは美容師免許の取得ができなかったので、提携している学校で美容師免許を取得するための勉強を並行して行い、さらに高卒の資格を取るための勉強もしていました。トリプルスクールの状態でしたね」
毎日1時間以上かけて、拝島の自宅から恵比寿にある学校に通った。ついに自由を手に入れた鈴木は、中学生の時にしたくてもできなかったことをした。
「学校は1日も休まずに真面目に通いましたが、見た目は派手でした。今考えるとすごくへんてこりんな格好をしていましたね(笑)」
充実していた高校生活も3年目を迎えた。最初の難関である美容師免許の試験には無事に合格し、やがて就職を考える時期に差し掛かった。
「最初はヘアメイクアップアーティストになろうと思っていました。映画や芸能人のメイクをやりたくて・・・。なので、安室奈美恵さんのヘアメイクをされている方の事務所を受けたのですが、なんと合格しました」
念願のヘアメイクアップアーティストへの第一歩を踏み出したかのように思えた矢先、事態は思わぬ方向に進み出した。
「当時の私は18歳だったのですが、その事務所の方が私の年齢をしっかり見ていなかったようで、年齢が若すぎるということで合格が取り消されてしまいました」
MINX

まさかの年齢制限による内定取り消し。しかし、ここで立ち止まっているわけにはいかない。今から入れるヘアサロンを探した。
「内定を取り消された会社から、「美容師経験を3〜4年積んで、コミュニケーション能力を身に付けてからこの業界に来た方が良い」と言われたので、だったら大手の美容室で一度働こうと思いました」
大手の美容室をいくつか受けて、最後に受かったのがMINXだった。MINX原宿店に配属され、いよいよ社会人としても新たな生活が始まった。
「スタイリストデビューをした当時はカラーを売りにしていたのですが、店舗でほかにも推している方や上手な方がいて、自分の売りを模索していました」
自分の売りはなんなのか?悩み続ける毎日の中で、鈴木は鏡に映る自分の前髪を頻繁に気にしていることに気付いた。
「他にうまい美容師はたくさんいるけれど、私は前髪に強いこだわりがありました。自分が悩んでいるからこそ、同じように悩んで気にしているお客様の気持ちが分かりますし、もっと可愛くしてあげられると思って、自分は前髪カットを売りにする事にしました」
前髪カット

昨年の緊急事態宣言中に店舗が休業していたこともあり、そこから鈴木は様々なコンテンツを作りインスタで投稿を続けていた。すると、緊急事態宣言明けから徐々に反応が出てきた。
「今は月に30人程のお客様が、新規指名で来てくれています。それが1年続いているので、400人程の前髪にコンプレックスを抱えているお客様を救えたと思います」
鈴木のもとを訪れるほとんどの顧客が、その後も継続して来てくれる。そして、きっかけは前髪でも、そこから信頼感が生まれて全体のカットやカラーなども任せてもらえるようになる。
「前髪だけで美容室に来られる方は慎重派か、もしくは担当の美容師に思い通りにしてもらえなかった方が多い気がします。他の前髪カット推しの美容室で失敗されてしまった方なども、たくさんいらっしゃいますね」
鈴木は、顧客のこうなりたいという具体的なイメージや気持ちを汲んだデザインにすることを心掛けている。
「気持ちを汲んでくれるということで、お客様の癒しの場になっているのかもしれないですね。遠方から来てくれたり、結婚式やデートなど大事な日に合わせて来てくれたり、DMでお礼をもらえることも多くて、その人にとって唯一無二の美容師になれていることがうれしいです」
続く
もはや説明不要の人気サロン「MINX」において、得意とする前髪カットを武器に顧客から絶大な指示を受けている若手美容師がいる。今注目の新進気鋭のスタイリスト「鈴木杏奈」の、過去・現在・未来に迫る。(敬称略)人間関係

鈴木は東京都昭島市の拝島出身。小学生の頃から、地元にあったフットベースボールのクラブチームに所属していた。
「小学校4年生の時から、3年間位やっていました。仲が良い友達がやっていたので、それで自分も始めたという感じですね」
地元の中学校に入学した鈴木は、陸上部に所属した。
「最初はバレーボール部だったのですが、人間関係が辛くて辞めました。走るのが得意だったこともあり、陸上部に入部して幅跳びとか短距離とかやっていました。ただ、どちらかと言うと内申点が下がるのを避けるために、嫌々ながら続けていた感じですね(笑)」
当時鈴木が通っていた中学校では、いじめや陰湿な嫌がらせが流行していた。
「いじめていた子に目をつけられるのが嫌で、当時は怯えながら生きていました(笑)。中学生活は楽しかったのですが、その子ひとりにはずっと怯えて過ごしていた感じですね」
進路

当時の中学校で流行っていたいじめや陰湿な嫌がらせに、鈴木も巻き込まれたことがあった。
「3年間その子に会うたびにいつも睨まれたりとか、ジメジメやられていました。私自身はちょっとスカートを短かくしていたくらいで、特に目立つこともしていなかったのですが・・・」
やがて進路を決める段階に差しかかり、鈴木は美容専門学校に進学することに決めた。自分のやりたいことがあるのに、それができないというストレスから一刻も早く解放されたかった。
「通っていた中学校では校則があったので、自分がやりたい美容とかを自由にできませんでした。なので、もっと自由に色々やりたいとずっと思っていました。それと、狭い人間関係から早く離れて、当時強い立場にいた人達を見返したかったという思いもありましたね」
自信喪失

高校ではなく美容専門学校に進学することに、両親は特に反対しなかった。
「むしろ父親が、雑誌の後ろに掲載されていた美容専門学校を勧めてくれました。すごく協力的でしたね」
高校を卒業した鈴木は、恵比寿にあるバンタンデザイン研究所高等部のヘアメイクアップアーティスト科への進学を希望していた。
「当時はニューヨークに行きたいと漠然と思ってたのですが、修学旅行がニューヨークと書いてあったので、いいなと思いました(笑)。それと、ちょうど1期生だったということもあり、ちょうど良いタイミングだなと思いました」
バンタンデザイン研究所高等部の入学試験は、1枚のハンカチのデザインをすることだった。
「その試験で、すっかり自信をなくしてしまいました。自分には才能あるのかなと、疑問を持ってしまいましたね」
結果的に試験には合格した鈴木だったが、すっかり自信を喪失してしまった。そして、あろうことか入学を辞退してしまった。
続く
STYLE LABが主催している「全国美容専門学生ヘアメイク総選挙」。歴代の入賞者は、現在どのような人生を歩んでいるのか?今回は、第3回全国美容専門学生ヘアメイク総選挙で見事1位を獲得した、渡部珠生の現在地に迫る。(敬称略)
社会人

ついに社会人となり、念願のkakimoto armsでの新生活が始まった。現在の肩書はジュニアカラーリスト。就職活動中にkakimoto armsに行った際に、カラーリストになりたいと思ったからだ。
「社会人になって、毎日刺激を受けています。ここでの生活に全てが詰まっているというか・・・。毎日が非常に充実していますね」
カラーリストにとって刺激的で働きやすい環境があったことにも驚いた。
「カキモトアームズではスタイリストとカラーリストが分かれているため、コラボレーションして仕事をするので非常に勉強になりますし、すごくいいなと思います」
コロナ禍により練習時間の短縮を余儀なくされながらも、一人前のカラーリストになるために日々研鑽を重ねている。
「プロの仕事を間近で見ると、当然ですが自分が今まで作ったスタイルはまだまだ課題があると感じます。今まではカラーの作品をあまり作ってこなかったので、これからはカラーリストとしてもっとカラーの作品を作っていきたいと思いますね」
美容学生時代にしておくべきこと

つい最近まで自分も美容学生だったからこそ、現役の美容学生に伝えたいメッセージがある。
「映画でもなんでもいいと思うのですが、色々なものを見た方がいいと思います。例えば作品を作るにしても、自分に色々な引き出しが必要になりますので」
他人と同じ経験しかなければ、他人と違う作品は作れない。他人と違う作品を作りたければ、他人がしていない様々な経験を積むしかない。
「読書でもいいと思うので、色々と経験して欲しいと思います。技術面に関しては、私も学生時代不器用でしたが、就職してからそのサロンで磨くことができるので、そんなに心配する必要はないと思います」
社会人として働くにあたり、学生時代の経験で蓄積された自分の引き出しに何度救われたか分からない。
「技術も大切ですが、学生の時は色々な経験を積んで自分の引き出しを増やした方が、サロンに就職した時に有利になると思います」
未来

この4月で、社会人2年目に突入した。ほんの一年前には美容学生だったことが信じられない。今はカラーリストとしてデビューするために、日々奮闘中だ。
「自分はまだ色々と吸収をしなければならない立場で、技術面でもさらなる向上が必要と思っています。自分の強みを見つけるのもいいと思いますが、自分としてはトータル的に全部できるというのを武器にしたいと思っています。何でも出来ると言ったら言い過ぎですが、何でも対応できるカラーリストになりたいと思います」
ヘアメイク総選挙での優勝や希望サロンへの就職と、目標は必ず達成してきた。渡部なら、その目標もきっと叶えるに違いない。最後に、ヘアメイク総選挙優勝経験者の立場から、コンテストで優勝するための秘訣を教えてもらった。
「コンテストで優勝するためには、目に見えるもの全てを意識した方がいいと思います。ヘアスタイルはもちろん、画角、モデルの表情、衣装など全てです。ヘアスタイルももちろん大切ですが、トータルで見た時に印象に残る作品を作るべきだと思いますね」
美容専門学生時代にヘアメイク総選挙で優勝して、志望サロンに就職。毎日が充実している渡部は、今まさに大きく羽ばたこうとしている。次に羽ばたくのは、今まさにこれを読んでいるあなたかもしれない。
完
STYLE LABが主催している「全国美容専門学生ヘアメイク総選挙」。歴代の入賞者は、現在どのような人生を歩んでいるのか?今回は、第3回全国美容専門学生ヘアメイク総選挙で見事1位を獲得した、渡部珠生の現在地に迫る。(敬称略)
初めてのコンテスト

充実した学生生活を送っていた渡部だったが、2年生の時に初めてコンテンストに応募した。第3回全国美容専門学生ヘアメイク総選挙に作品を応募したところ、思わぬ結末が待っていた。
「あれは初めて応募したコンテストでした。当時は作品撮りをしていたものの、それをコンテストに出すという機会がありませんでした。友達や学校の先生からヘアメイク総選挙のことを聞いて、応募してみようと思ったのがきっかけですね」
賞を取るためにはどうしたらいいのかを自分なりに考えた。
「当時のコンテストのテーマは「日本イケ男」という、メンズの作品がテーマでした。男性のカッコよさを引き出すというのが、自分の中で新鮮で楽しかったですね」
自分の理想のイメージを形にするために、すべて自分で考えて作品を作り上げた。初めてのコンテストだったが、最初から入賞することを狙っていた。
「モデルの男性に合うスタイルだったりだとか、自分が考える映画のワンシーンに出てくるような感じをイメージして作りました。角度とかもすべて自分で決めてという感じでした」
自信

メンズの作品がテーマだったということもあり、応募者のほとんどが男子学生だった。そんな中で、渡部の作品は見事1位を獲得した。その作品は、審査員のエザキヨシタカ(grico代表)と西森友弥(MR.BROTHERS CUT CLUB代表)の両氏も驚くほどの圧倒的なクオリティだった。
「予選を通過したことは知っていたので、順々に結果発表されていく瞬間は本当にドキドキしましたね。最後1位しか残ってないのに、自分の名前がまだなかったので・・・」
もちろん出場するからには入賞を目指してはいたが、まさか優勝するとは思っていなかった。
「優勝した時はほんとうに嬉しかったです。優勝賞金の10万円は全て美容関係に使ってしまいました(笑)。ずっと使えるメイクの道具とかたくさん買いました」
しかし、渡部の快進撃はこれで終わらなかった。なんと、続く第4回全国美容専門学生ヘアメイク総選挙で応募した作品が、審査員であるサトーマリ特別賞(siika NIKAI ディレクター)に選ばれたのだ。2大会連続の受賞は、渡部に大きな自信を植え付けた。
「周りはかなりびっくりしていました。自分はかなり不器用な方だったので、先生もすごく驚いていましたね」
就職活動

楽しかった美容専門学校での生活も2年生の秋になり、やがて就職活動の時期に差し掛かった。社会人への扉を開ける瞬間が目の前に迫っていた。
「自分は父のお店で髪の毛を切ってもらっていたので、他の美容室というか有名サロンをほとんど知りませんでした。なので、自分で調べたり学校の友達などから色々と情報を集めていました」
様々なサロンの情報を集めていくうちに、渡部はあるサロンに興味を惹かれた。それが、今まさに働いている「kakimoto arms」だった。当時は、自分が気になる様々なサロンに実際に足を運び、サロンの雰囲気を確かめた。そして、自分にはここしかないと思った。
「kakimoto arms に入社するにあたって、技術の試験はなかったのですが、面接が3回あったのでその対策はしましたね。人間性や人柄を見られていると思ったので、入社したいという自分の気持ちを素直に伝える事に専念しました」
kakimoto arms で働くことしか頭になかったため、他のサロンは受けなかった。そして、3回の面接をクリアして、ついに念願のkakimoto armsで働く切符を勝ち取った。
続く
STYLE LABが主催している「全国美容専門学生ヘアメイク総選挙」。歴代の入賞者は、現在どのような人生を歩んでいるのか?今回は、第3回全国美容専門学生ヘアメイク総選挙で見事1位を獲得した、渡部珠生の現在地に迫る。(敬称略)
渋谷生まれ渋谷育ち

渡部は東京都渋谷区の出身。都会のど真ん中で生まれ育った。
「小学生の時から空手と野球をやっていました。50人くらいの少年野球のチームに、私一人だけ女の子がいるみたいな感じでした(笑)」
現在の華奢な見た目からは想像できないが、小学生の時からスポーツに熱中していた。
「習い事やスポーツは全て、自分から親にやらせて欲しいと頼んで始めました。空手教室の電話番号メモって、親に電話してもらったりして・・・」
自宅近くの高校に入学した後も、空手は続けた。
「部活には入ってなくて、空手に専念していました。ただ、当時は美容に興味を持ち始めていたので、空手より美容という感じでした」
美容師

通っていた高校の同級生の存在が、美容への興味に拍車をかけた。
「高校に芸能コースがあり、芸能活動をしている生徒がたくさんいました。かなり刺激を受けましたね。自分も美容に携わって綺麗になりたいと思い、高校を卒業したら美容専門学校に行こうと思いました」
美容に興味を持ち始めてから、美容師になると決めるまでに時間はかからなかった。
「自分が美容の道に進もうか悩んでいるときに、両親から「美容師が向いていると思うよ」と背中を押してもらったこともあり、美容師になろうと思いました」
現役の美容師でもあり父親からの言葉は、心強かった。高校を卒業した渡部は、日本美容専門学校に入学した。
「自宅から少し遠かったのですが、クリエイティブ寄りで髪の毛も自由だったので、いいなと思っていました。在校生の先輩に話を聞いたところ、先生も素晴らしく、国家試験にも力を入れているという点で日美に決めました」
美容専門学校

高田馬場にある日美は、渡部の自宅から電車で30分。新しい生活がスタートした。
「私はどちらかというと不器用な方だったので、技術面で何でもできますというタイプではありませんでした。ただ、作品を作ったり自分のイメージを膨らませて何かをするというのが好きだったので、常にヘアスタイルやメイクの似合わせだとかを考えていましたね」
DEAN&DELUCAのカフェでバイトしながら、充実した生活を送っていた。
「自分は東京出身ですが、日美には地方から来ている様々な生徒がいて、みんなそれぞれ異なる感性を持っていました。そんな環境で毎日刺激を受けていたので、とても面白かったですね」
他の生徒と話すだけで自分の感性が刺激される。日美はまさに理想の環境だった。
「2年間はあっという間でしたね。本当に充実していました。国家試験に向けての猛練習をしてると、自分の目標が明確になってきました。美容師になりたいという気持ちも、徐々に強くなってきましたね」
続く
高校を退学し、なんの当てもない状況で大阪に行き美容師になったAri。自ら道を切り拓き、ついにはコロナ禍の真っ只中に新店「PEPPU」を中目黒にオープンさせた。紆余曲折を経て辿り着いた先にあったものとは何なのか?バイタリティー溢れる美容師Ariの、過去・現在・未来に迫る。(敬称略)
シェアサロン

animusでは5年間働いた。その後、Ariは表参道にある別のサロンに移った。
「地元の知り合いに誘われたこともあって、表参道の「Livingu you」というサロンに移りました。そこで初めてスタイリストから店長という立場になったのですが、店長として様々な貴重な経験ができたことは今でも感謝しています」
店長として充実した毎日を過ごしていたAriだったが、徐々に店長のその先の未来を目指したくなってきた。そして、ついにAriは行動に移した。
「Livingu you に移って4年後ぐらいに、シェアサロンという形で「PEPPU」を原宿に立ち上げました」
2017年、10代の頃からずっと憧れていた原宿の地に美容室を立ち上げた。
「今もそうですが、お店を出せた、やったーという感じではなくて、まだまだこれからだと思ってました。店を出すのもそうですが、店を出した後にやり続けることの方が難しいですから・・・」
新生PEPPU立ち上げ

シェアサロンの形で「PEPPU」を運営していたAriだったが、2021年1月に中目黒で「PEPPU」を再スタートさせた。今度はシェアサロンではないため、自身がオーナーのサロンである。
「ずっとチャンスは伺っていたので、自分に合った物件と予算内で良いのがあればと動いていました。この物件を借りれたのは本当にラッキーでした」
運命に導かれるように、目黒川沿いの1階に位置し、太陽の光が燦々と降り注ぐ最高の物件を手に入れることができた。
「偶然にもこのビルのオーナーが知り合いのキックボクシングのジムに偶然来ていて・・・。そこで話をさせてもらったところ、「若者にチャンスを与えたい」と自分のことを気に入ってもらえて、借りることができました」
まさにコロナ禍の真っ只中のタイミングでオープンしたが、充実した毎日を過ごすことが出来ている。
「厳しいこともたくさんありますが、自分がやりたかったことなので、毎日幸せな気持ちでやっていますね。毎日楽しみながらやるというのが、自分たちにとってもお客様にとっても大事なことだと思っています」
実際にPEPPUに足を運ぶと一目瞭然だが、Ariをはじめ全スタッフが本当に楽しそうに笑顔で働いている。スタッフの笑顔が伝播して、こちらまで思わず笑顔になってしまう。
「やらされてる感ではなく、自分が好きなことをやっているんだという事を意識するように、スタッフにも伝えています」
最高の仕事

Ariが美容業界に身を置いて10年以上が経った。自身を取り巻くその環境も変化し続けている。
「美容業界について感じる事は特にないですが、練習や勤務体系等、様々なことが時代とともに変わって来ているのは事実です。良い意味で、美容業界がどう変わるのか楽しみなところはありますね」
一昔前の美容業界といえば、スタッフの社会保険などもちろんなく、福利厚生も決して充実しているとはいえない過酷な環境だった。しかし、昨今の美容業界においてはそれもかなり改善されてきている。
「逆に自分たちがこれまでやってきてよかったと思う事などは、引き続き残して伝えていきたいですね」
今後の美容業界を背負う若者を育てる事も、自身に与えられた使命の一つであると認識している。
「若い時には色々とチャレンジしてほしいと思いますね。人がやらない事イコール面倒くさい事だと思うのですが、実はそこにたくさんチャンスがあったりします。なので、嫌なことほどたくさん挑戦して、向き合ってほしいですね」
Ariの挑戦はまだ始まったばかりである。3年後にもう1店舗出店する事も計画している。
「やはり、美容師は自分にとって最高の仕事です。それに尽きますね」
その歩みを止める時間は、当分なさそうだ。
完
高校を退学し、なんの当てもない状況で大阪に行き美容師になったAri。自ら道を切り拓き、ついにはコロナ禍の真っ只中に新店「PEPPU」を中目黒にオープンさせた。紆余曲折を経て辿り着いた先にあったものとは何なのか?バイタリティー溢れる美容師Ariの、過去・現在・未来に迫る。(敬称略)
大阪

郵便配達で貯めたお金を持って、Ariは美容師になるために大阪に旅立った。
「最初の高校を退学したり陸上も途中で辞めたりと、当時は一つのことを長くやることができなかったので、そういうところも直したかったというのがありました。なので、やるしかないと思って大阪に行きましたね」
大阪では、当時の恋人の自宅に同棲させてもらった。そして、美容室の紹介所に出入りしているうちに、そこで運命の出会いが待っていた。
「その紹介所に大阪中央理容美容専門学校の理事長が偶然いたのですが、その理事長は美容室も経営されている方でした。その方に気に入ってもらえて、そのサロンで働きながら3年間、通信課程で美容師の免許を取るための勉強をしていました」
サロンで働きながら、通信過程で勉強する毎日。美容師免許を取得して、将来は東京に行きたいと考えていた。
「自分が働いていたサロンは白髪染めが多かったり、年齢層が高いサロンでした。当時は若かったこともあり、自分がやりたいことと違うため辞めたくなったりもしましたが、今振り返るとその時に得た経験は間違い無く生きていますし、感謝しています」
Ari自身の年齢が上がると同時に、お客様の年齢も上がってきた。当時やっていたことは間違っていなかったと、今は確信を持って言える。
東京

美容師免許を取得したら東京に行きたいと、19歳の頃から思っていた。
「当時働いていたお店の店長に「東京に行きたい」と話したところ、当時はまだそのサロンから東京に行った美容師がいなかったので、最初は反対さていました」
店長が示した東京に行くための条件は、100万円貯めて、国家試験に一発合格するという2点だった。そして、3年間通信過程で勉強して、無事に美容師免許を取得した。東京行きの切符を手にした瞬間だった。
「東京に行った時は葛飾区に高校の友達がいたので、1ヶ月間そこに泊まらせてもらい、サロンに履歴書送ったりとかしていました。どうしても表参道・原宿・青山エリアで働きたかったので・・・」
この時Ariは21歳。手書きで履歴書を何通も書いて、あらゆるサロンに郵送した。そして、ついに表参道のサロンに合格した。
「大阪での3年間があるから自分は大丈夫だと思っていましたが、やはり表参道エリアの美容室の技術は大阪のそれとは異なる部分もあり、それこそシャンプーマンからスタートしました。もうやるしかないという感じでしたね」
そのサロンは巻き髪が得意な、いわゆるコンサバ系のサロンだった。しかし、当時のAriが好きだったのは古着系ファッションや、メンズのヘアスタイルだった。
「理想と現実の違いというか、自分がやりたいことはこういうのではないということで、半年で退社しました。退社後は高知県に帰り、地元の美容室の面接に行ったりしていましたね」
再挑戦

地元の高知県に戻ったAriだったが、不完全燃焼なこの気持ちを拭うことができなかった。
「やはり、やれるのなら東京でやりたいという気持ちがずっとありました。どうせ働くなら、有名無名で決めるのでは無く、自分で直接サロンを見て判断しようと思い、夜な夜な東京のサロンの外観などを見て回りました」
当時愛読していた雑誌「CHOKI CHOKI」に掲載されていた東京のサロンを、自分の足で実際に周り見て回った。そして、あるサロンの外観を見た時に衝撃が走った。
「animusというサロンの外観を見た時に、絶対ここで働きたいと思いました。早速翌日にanimusに行って面接の直談判をして、なんとか合格できました」
一刻も早くスタイリストになり、先輩を追い抜きたいという思いのもと、朝夜を問わず一心不乱に練習した。そして、ついにスタイリストに昇格した。
続く
高校を退学し、なんの当てもない状況で大阪に行き美容師になったAri。自ら道を切り拓き、ついにはコロナ禍の真っ只中に新店「PEPPU」を中目黒にオープンさせた。紆余曲折を経て辿り着いた先にあったものとは何なのか?バイタリティー溢れる美容師Ariの、過去・現在・未来に迫る。(敬称略)
中学受験

高知県出身のAriは、会社員の両親と姉という4人家族。いつも外で遊んでいる活発な少年だった。
地元の小学校を卒業したAriは、中学受験をして私立の中学校に入学した。
「姉も中学受験したので、自分もという感じでした。姉と同じ塾に通っていたのですが、成績はいつもビリの方でしたね(笑)」
合格ラインのギリギリを彷徨っていたAriだったが、姉に救われた。
「3日間だけ姉に勉強を教えてもらったのですが、そこでの勉強が自分の中にスッと入ってきた感覚がありました。その3日間のお陰で合格できたと言っても過言ではないと思います」
無事に中学受験を突破し、私立の中高一貫校での新しい生活が始まった。
「中学生になってからは、陸上部で長距離をやっていました。あと、中学2年生ぐらいからバイクに興味を持ち始めましたね。バイクが好きでした」
退学

高校生になるとバイク熱がさらに加速し、勉強や部活からは徐々に遠のいていった。そんな中、ある出来事が起きて人生が一変する。
「当時は好奇心があり過ぎて、他の高校にお昼ご飯を食べに行ったり、禁止だったバイクに乗っているのがバレたりして、何度か停学処分を受けていました。「次に何かしたら終わりだよ」と言われていたのですが、色々あって我慢できなくなり、高3の終わりに学校を退学してしまいました」
自主退学という形で学校を去ったAriは、沖縄にある高校の通信科に入学した。
「高校の2、3年が同じクラスだったのですが、そのクラスは2年間で10人退学になりました。その中の一人とすごく仲が良かったのですが、彼が沖縄の通信の学校に行くというので、自分もそこにしました」
アルバイトをしながら自宅に届く教材で勉強し、無事卒業して高卒の資格も手に入れた。卒業後の進路は決めていた。中学1年生の時に姉に初めて美容室に連れて行ってもらって以来、Ariは将来美容師になると心に誓っていた。
「これまでは床屋に通っていたのですが、美容室に初めて連れて行ってもらった時に、髪の毛ひとつで自分のイメージが変わることに驚きました。ワックスをつけてもらう事も初めてだったのですが、その時に受けた衝撃が忘れられなかったですね」
美容師

初めて美容室に行った帰りに、親に無理を言ってヘアワックスを買ってもらった。
「髪の毛ひとつで自分の気分が上がったり下がったりすることに可能性を感じましたね。毎回自分に切ってもらうと気分が上がると言われるような、そんな美容師になりたいと思いました」
美容師になることを夢見て、Ariは高校卒業後に大阪に行く決心をした。
「高校時代に仲の良かった友達が東京に行くというので、被るのが嫌なので自分は大阪にしようと思いました。しかし、高校を退学になったりでお金がかかってしまったので、親からは地元の美容学校しか行かせられないと言われました」
やむなく地元の美容学校を一般試験で受験したAriだったが、結果は不合格だった。
「途方に暮れて悩んでいる時に、当時付き合っていた彼女から「一度きりの人生なのだから夢を追い求めた方が良い」と言われたことがありました。そこで、自分はバイクが好きだったので、お金を貯めるために18歳の4月ごろから郵便局の配達の仕事を始めました」
その年の8月31日まで郵便局の配達のアルバイトをした。そして、アルバイトを辞めた翌日、夜行バスに乗って大阪に旅立った。
続く